A教諭の数学便り in 2007 A教諭が2007年1学期末に、大変なごたごたの中で作った数学便りが6枚あります。 昨日、アンタレスさんからご要望がありましたので、ここに紹介いたします。 Adobe
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このような1時間ごとの生徒たちのエネルギーの交流の総決算が、上に紹介した6枚の数学便りだったのです。これは、もともとカラー印刷です。すなわち、A教諭が家で自分のパソコンとプリンターで生徒全員の分を印刷したのでした。 「授業以外は病気休暇にせよ」というS教頭の命令によって、印刷などの授業の準備もすべて自宅で病気休暇の時間にやっていたわけです(←あまりにもおかしい。管理職の責任を問われる!)。 彼は、1学期間で1万枚のプリントを印刷しました。そのもとにあった思いが明かされたのがこれらの数学便りだったのです。「数学をやったために生きがいを感じなくなった、というのならそんな数学はやらない方がいい。」これは、世界的な数学者である岡潔氏が言われた言葉です。授業というものは常に目の前に生きた生徒たちがいるわけで、その生徒たちが生きがいを感じられるように授業するためにはどうしたらいいか?教師は常にこの公案と対峙しているのです。 それに比して、「職員室でつらいことがあったとき」という数学便りの中の1文にのみ敏感に反応して、その禁止を奥さんに迫るとは、なんという理想も目的もないさびしい心なのでしょうか?自分たちがA教諭をいじめてきたことに自覚があるから、「これが明るみに出たらまずい」と思うのです。 厳しいことを言うようですが、教師失格です。同僚(上司にも部下にも)に対しても、生徒に対しても、害がありこそすれ、利はありません。何としても、教師以前に人間として再生なさることを願います。 そして、すべての教師が、笑顔で真の教育について語り合い、すべての教室が、生徒たちの笑顔であふれ、笑い声が漏れるようになることを、願ってやみません。 |