A教諭の数学便り in 2007

 

A教諭が20071学期末に、大変なごたごたの中で作った数学便りが6枚あります。

昨日、アンタレスさんからご要望がありましたので、ここに紹介いたします。

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 数学便りNo. No. No. No.10   No.11 No.12

 

 

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数学便りNo. No. No. No.10   No.11 No.12 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数学便りNo.7  

 

 

 

 

 

数学便りNo.  

 

 

 

 

数学便りNo.

 

 

 

 

数学便りNo.10

 

 

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その翌週、出されたのが次のNo.11とNo.12でした。

 

数学便りNo.11

 

 

 

 

数学便りNo.12

 

 

 

 

 

あの大変なごたごたの中では、これだけのものを書くというのはとても、大きな仕事だったことでしょう。しかし、この便りの中にもあるとおり、A教諭にとってはこの生徒たちとの出会いが一回生起のものであり、もうこの後は一生出会うことはないかもしれない、そう思うと、何としても伝えたい感謝のメッセージだったのです。その1学期、幹部教師集団によっていつ倒されるかわからないという、ギリギリの中で一日一日歩んできたA教諭。そんなA教諭が生徒からもらった温かい心。この数学通信は、その時の彼にしか言えないメッセージでした。卒業する時、一緒にいることはできなかった。けれども、A教諭があなたたちと一緒の時を過ごしたというこの出会いは、なくなることはありません。

 

これは、あまりにも宝珠のようで、この『うつ病差別事件』の舞台に出してくるのには逡巡したので、これまで一切このサイトには出さなかったのです。どうか、そのおつもりで、熟読いただけたら幸いです。

 

 

 

 

なお、A教諭の記録をよく読めばわかりますが、A教諭がこれを生み出すことができたのは、宮崎前教育長さんの人間的な温かいかかわりがあったからに他なりません。

冷たく厳しい心ではなく、温かいやさし心こそが、本当に人々の心の中に伝わっていくのではないでしょうか。

 

この『数学便り』の中の一文を取ってS教頭(C2)は大慌てします。そうして、A教諭の奥さんに「このようなものを出さないように彼に伝えろ」と回りくどく言います。このC2がすべての中心となって、C1〜C6を操ってA教諭をつぶそうとしていたのでした。1学期で大体その正体は見抜けたとはいえ、思うようにならない体をかかえたA教諭に、この後もずっと、《A教諭潰し》は手をかえ品をかえ発動されるのです。

(なお、なぜ《A教諭潰し》が行われたのでしょう?

もうみなさんはその答えを答えることができるのではないでしょうか?)

 

A教諭の数学便りの中に、彼自らの言葉で「仮説実験授業」のことについて触れてあるところがあります。興味・関心が消えてしまう(それは大変な苦しみを伴うそうです)うつ病を患い、そこから這い上がっていく時に改めて彼が知った「興味・関心」の大切さ。それを追求する仮説実験授業。

一方、彼がこれまで追求してきた授業は、「分かる授業」ではあったが、その評価においては、結果的には「できる・できない」が大きく影響するものであった。

彼が生か死かというぎりぎりの中から見つけ出した授業のイメージは、そのようなものを越えるものだった。

 

彼は毎授業時間ごとに、自分の授業について率直な感想を書いてもらいます(2学期は時間が足りなくてどうしても無理だったようですが)。その項目は「楽しかったか?」「よく理解できたか?」そして、授業についてなんでも。

数学で「楽しかったか?」という項目を書いてもらうのは、教師にとって勇気がいることです。同時に、「よく理解できたか?」も書いてもらうわけです。

このような1時間ごとの生徒たちのエネルギーの交流の総決算が、上に紹介した6枚の数学便りだったのです。これは、もともとカラー印刷です。すなわち、A教諭が家で自分のパソコンとプリンターで生徒全員の分を印刷したのでした。

 

「授業以外は病気休暇にせよ」というS教頭の命令によって、印刷などの授業の準備もすべて自宅で病気休暇の時間にやっていたわけです(←あまりにもおかしい。管理職の責任を問われる!)。

彼は、1学期間で1万枚のプリントを印刷しました。そのもとにあった思いが明かされたのがこれらの数学便りだったのです。「数学をやったために生きがいを感じなくなった、というのならそんな数学はやらない方がいい。」これは、世界的な数学者である岡潔氏が言われた言葉です。授業というものは常に目の前に生きた生徒たちがいるわけで、その生徒たちが生きがいを感じられるように授業するためにはどうしたらいいか?教師は常にこの公案と対峙しているのです。

 

 

それに比して、「職員室でつらいことがあったとき」という数学便りの中の1文にのみ敏感に反応して、その禁止を奥さんに迫るとは、なんという理想も目的もないさびしい心なのでしょうか?自分たちがA教諭をいじめてきたことに自覚があるから、「これが明るみに出たらまずい」と思うのです。

厳しいことを言うようですが、教師失格です。同僚(上司にも部下にも)に対しても、生徒に対しても、害がありこそすれ、利はありません。何としても、教師以前に人間として再生なさることを願います。

 

そして、すべての教師が、笑顔で真の教育について語り合い、すべての教室が、生徒たちの笑顔であふれ、笑い声が漏れるようになることを、願ってやみません。

 

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