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まごころつれづれ草【3】

 

42】08年9月26  犯罪者教師幹部集団の土居中でこころを守るためには

43】08年9月27  映画『学校W』より … インナーチャイルド

44】08年9月28  cocoさまへ … はるかな祈りをこめて

45】08年9月29  県教育長と市教育長は、早急に!!

46】08年101  『「狂い」のすすめ』ひろさちや著 集英社新書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【42】犯罪者教師幹部集団の土居中でこころを守るためには

 

私たちは、先日、土居中学校幹部教師集団を犯罪者集団と認定した。これは、大変重大な意味を持つ。実態の解明と今後の対策を早急に行わなければならないからである。私たちはそこで、県教委に直接それをお願いした。ただし、投げっぱなしで自分たちが待っているだけでもいけない。自分たちも努力をしなければならない。

 

そこでまず最も恐れることについて考えておこう。

その前に、土居に置いて大切な公式を復習しておく。

《精神世界の常識》=《日常世界の非常識》

《精神世界の非常識》=《日常世界の常識》

である。

 

そしてここで一つ言葉の定義をさせていただきたい。誰もが安心してものをいえる町ではない現在の土居町、これを『狂った土居町』と呼ぶことにする。

 

狂った土居町において、これまで犯罪が相次いで起こりその被害者が出た。最近のものを3つあげると、

117日M君転校

117日河村教諭不安障害発症

913日H教諭心身障害発症

約半年の間に、表沙汰がになったもので、これだけのものがある。しかも法務局へ被害届が出されており、市教委のほうへの訴えも何度もされているのにである。これ以外に、その犯罪によって退職に追い込まれたり、病気に追い込まれたりした人もいる。

 

まずこの原因を究明しなければならない。「一つの学校の中でこれほどの被害者が相次いで出される」ということは異常な事態なのである。その認識をみんなが持たなければならない。もはや県レベルの話なのであって、これ以上見て見ぬふりを続けるならば、いずれそのことで県の重役の方が責任をとらなければならなくなるであろう。自殺防止月間である9月に今年も一人の教師が倒された!ことは重大である。

しかも、なんの反省も出されてなく、なんの改善も出されてない。そのことは、「今後も同じような被害者を、どんどんと生んでいく」ことを示しているからである。

 

 

 

これは犯罪である!!

その犯罪の仕組みを解明しなければならない。

 

ここで次の公式を思い出してみよう。

《精神世界の非常識》=《日常世界の常識》

まずこれを見てほしい。「日常世界」というのが「狂った土居中学校の生活」ということである。そこで常識とされること、例えば「前へならえ」ではまっすぐに手を伸ばして全員がまっすぐにあげること、1週間に何回もある同和問題学習では挙手をして必ず誰か「差別者」を責める発言をすること、教師の嘘が分かっていても、それを嘘だと言ったらボコボコにやられること、明らかに事実にちがいないまごころ教育を、いまだに校長以下幹部教師集団が嘘だと言ってはばからないこと…。

 

このような、狂った土居中での生活における《日常世界の常識》は何を生み出すか? それは《精神世界の非常識》を生み出すのである。

 

すなわち精神世界においてエネルギーを失い、不登校になったり、先生に反発したりという自然な自己防衛規制が働く。けれども土居中では悲惨なことに、過去に市教委への報告で、登校は0と報告されている。つまり不登校の子に対して、学校に来るように働きかけをしようというような温かい心がないのである。また、先生に反発したりするとどうなるか?当然であるが彼らは力ずくでも学校へも教室へも入らさない。学校追放である。その教師へ謝って服従を誓うまでは。これでは、《精神世界の非常識》は、解消されるわけがない。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

つまり、最終的に現れる被害の、その源泉には、上のような流れがあるのである。

 

そして狂った土居中でその日常世界の常識を強引に押し進めようとしている人物たち、それが土居中幹部教師集団なのである。あらゆる嘘を捏造し、決して自分の非を反省しようとはしない。そのようなものが教師という職業に就いているのであるから、ことは重大なのである。

 

教師は、学校の中で生徒に教えることが中心である。行き過ぎた同和教育を教えれば、当然偏った見方をする生徒が生じてくる。また、自分では納得できないけれども怒られないような意見を言うために先生の顔色をうかがって発表することを覚える。こうして洗脳されていく。

 

以前にも申し上げたとおり、土居の同和体制は、ここ十数年間の間に変質を遂げてしまい(悲しいかな)、敵を必ず作り、その敵を「差別者」と呼んで徹底的にやっつけていく、ということをその基本姿勢としてきた。したがって土居中の同和教育では、「差別者」が必要なのである。

 

なんという矛盾であろうか。

 

土居中では、敢えて「差別者」を作らなければ話にならないのだ。こういうわけで、土居中はターゲットを探し狙いをつけて、そして攻撃を仕掛けつぶす。戦国時代と同じで、その「敵」の首を持って華々しい戦況報告をする。生徒の人権作文によって。

 

ターゲット、は生徒でもいい、生徒の保護者でもいい、教師でもいい、地域の人のでもいい、誰でもいいのである。ターゲットになりさえすれば。

 

また、『ましみず』はその《ターゲットさがし》(生徒本人をもだまして、勝手に密告者にする…今回の912日の件がそう。)と、そして、敵(主に自分の親)のクビをとった《戦況報告》の2つに利用される。

 

 

 

したがって、この図に置いては、狂った土居中の《日常の常識》の部分を、とてつもなく黒い雲が多い尽くしていることがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この黒い雲が、土居中幹部教師集団である。

 

さてこうしてみると、土居町の今の同和体制と、この土居中幹部教師犯罪者集団がある限り、次のターゲットは必ず作られると推測できる。私は、これを次のように推測する。すなわち、2カ月以内に新たな標的が作られ抹殺されると。早ければ1カ月以内である。

 

 

 

人権を考えたときに、これはなによりも優先して止めなければならない。

 

こんな蛮行が愛媛県ではまかり通るのかと全国の人が驚くに違いない。

愛媛県―

そう。もはや、土居中や四国中央市の問題ではない。県レベルの由々しき問題である。

 

さて、それではこの問題解決のためには何が必要だろうか?

県教委に対しては、その案を示した。

県教委が実施してくれるとしても、タイムラグが生ずるならば、その間は、自分で自分の身を守らなければならないのだ。

 

 

そのためには何が必要だろうか。図式で考えてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


思い出してほしい。土居中では、次の流れが出来上がっている。

 


生徒や教師や住民を潰す《精神世界の非常識》《日常世界の常識》

 

ということは、このまま何もしなければ、

 

 


      

 

 

 

 

この凶行が続けられるわけである。

 

それを止めるためにはどうしたらがいいのか?

 

お分かりであろう。狂った土居中学校での《日常世界の常識》を打ち砕くことである。

 

 


 狂った土居中の  

誰も潰されない土居中←《精神世界の常識》←《日常世界の非常識

 

 

 

《日常世界の非常識は《精神世界の常識》につながり、そして、誰も潰されない土居中が実現できるのである。

 

実はこの問題は、背後にいる正体不明の団体というさらに根深い層を持つが、それについては別の機会に考察する。

要は、どれについても、 『狂った中では、「狂い」が「正常」を生む。』

そう、頭に入れておかれるといいだろう。

 

 

 

 

 

 

最後に、昨夜の掲示板への投稿から二つ対照的なものを抜き出したい。一つは

 

[1427] きたねえぞ  投稿者:イチ不良 投稿日:2008/09/25(Thu) 17:49

さんの書き込みである。久しぶりに元気のいい書き込みが出て私はうれしかった。

そのとおり!これが必要なのだ!!これが、狂った土居中における《非日常》なのである。

 

土居中を変えたいなら先公にビビってないで反発しろよ。
生徒全員でボイコットするぐらいしろよ。
間違ってるのは汚い教師どもなんだから全力で戦えば勝てるよ。

 

数ヶ月前には、このような書き込みを見たら、皆さんは黒い影におびえ、自分で自分を縛りつけ、自分で自分を窒息死させていたのではないだろうか。敵の思う壺であったのである。しかし、このつれづれ草を読んできた人は、お分かりになると思う。このイチ不良さんの言っていることこそが、

狂った土居中学校における《日常世界の常識》を打ち砕く

ということなのである。

もちろん、県教委が速やかに黒い雲を取り払ってくれれば、皆さんがこんなことをやる必要はないのである。

大人の優柔不断によって、みなさんがそこまでしなければならない。何という重たい悲しい現実であろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて最後に紹介するのは、昨夜の書き込みで、まさに今日の図式の「黒い雲」のモデルとなった狂った書き込みである。

 

[1431] 無題  投稿者:午前の紅茶 投稿日:2008/09/25(Thu) 21:54

 

 

噂では、保健室の先生は退職届けを出したとか出してないとか。
コメントは初めてですね、こんばんは。

ある子が言ってました。
自分のクラスはとっても楽しいって。
部活より楽しくて、毎日あの教室に行けれるのが嬉しいと。
このクラスでよかったぁ!!!と。

こんな学校の悪口をネットで言ってるなんて、ありえないって。
総合(道徳など)の授業がすきだって。

と、とある子が言ってたんです。
あまりコメントはしません、さようなら。

 

 

黒い雲の幹部教師犯罪者集団は、決してここに書き込みはしない。IPアドレスがられるからである。

上の書き込みをしたのは、使い走りのそのまた使い走りの下の下の役を、自分でも意識せず、知らずにうまい具合に持ちあげられて、自分が正義の味方になったようなつもりで書き込んだものとみられる。

 

視えるよ、視えるよ。あなたちの死の線が。

「K子はん。書き込みしちゃりな。〜〜〜言うてな。保護者です、言うて。

子供は学校が楽しいと言っています、言うて。ワシが書け言うたやかいうてかいたらいかんで。」

どうですか。C2あたりに、こう言われてますね。

そこでぎょっとしなくてよろしい。あなたの行動はすべて記録済みです。

このあたりで、手を引いておきなさいK..さん。どうせ、彼らは、あなたのことをトカゲのシッポとして利用しているだけなのですからね。最終的には地域からもスパイとして見られ、あなたはすべての信用を失いますよ。

 

 

さて、文章について考察しておこう。彼らの使う卑劣な手口が見え見えなので、いい、学習資料になる。

すなわち、これはわざわざ全文引用する価値などない文章なのだが、彼ら黒い雲がこのようにあらゆるスパイを利用して犯罪に結び付けていく、そのやり口を見る上では貴重な資料といえる。

 

 

 

第1行目。いきなり噂で話を始める。いい噂ではない。この時点で、すでに悪意見せ見せ。

>噂では、保健室の先生は退職届けを出したとか出してないとか。

冷たいですね。もっと他に書き方はなかったのですがね。あなたの心そのものをそのまま表していますね。白雪姫に出てくる魔女が鏡を見たらときによりもおぞましい姿の正体を映し出されたようなものですね。

 

>ある子が言ってました。

 

そのある子はクラスが楽しいんですよね。いいじゃないですか。

私達は全員が楽しいと言える学校にしなければならないと言っているんです。たとえ99%の子がそのように楽しいと言えでも1%の子が虐げられてしろような思いをしているのであれば、私はそんな学校は存在価値がないとはっきり言いましょう。

 

ただ、問題なのは、自分たちは押入れに入ってそっと隙間を空けて伺いながら、その「ある子」に意図的にパシリをさせるところが許せませんね

あなたたちは、いったいどこまで卑劣なんでしょうか?

 

主語を、「私は」にしなさい。あなたの書き込みの中には「私は」が一切ないでしょう。だから、卑怯だというんです。幹部教師集団のやり口そのままなんです。

 

>こんな学校の悪口をネットで言ってるなんて、ありえないって。

問題はここですよね。その学校は楽しいといっている、自分たち黒い集団にとって味方となりうるどこやらの生徒に、この言葉をいわせたかったんですよね。つまりあなたは、これまで幹部教師集団がやってきた、

まごころ教育サイトはウソである

というのを掲げて、こちらの掲示板に、切り込み隊長として最初に突撃して入ってくる役を仰せつかったわけです。

 

そして、

と、とある子が言ってたんです。
>あまりコメントはしません、さようなら。

 

でおさらばですか。笑ってしまいます。あなたが惨めで情けなくて。笑ってしまいます。「ある子に」の「ある」を利用しないで、自分の意見をしっかり言ってください。

あなたのは、「荒らし」です。ただし、このように黒い雲の手法をみんなが学習するのに適切なので、ここにコメントをつけて残しておきます。

 

つまり、あなたが幹部連中の下へ帰りついたら、背中に矢文が刺さっていた。怪我しないようにね。

 

  ま、それで、あなたの書き込みは、  『終』  です。

 

 

 

 

 

ただし、あなたに言っておきます。

 

あなたは、悪質な土居中幹部教師集団と同じように、悪質さと卑劣さに置いては見下げ果てたものです。そして、論理的にものを考え、まごころを持って物事を考える力も極めて低いと言えます。その点も、土居中幹部教師集団とそっくりです。

 

したがって、これ以上あなたがここに書き込みをしたいのであれば、次の書き込みをする前に今からいうことをしてください。

 

『さまよえれる王子』に出てきましたが、機滝または面白の滝へ行って、滝に打たれながらの般若心経を一万遍唱えてください。

 

それをやったら、私にメールしてください。日時を指定しますから、面白の滝で同じことをやってもらいます。それを見て私が「合格」を出してから、午前の紅茶再びで書き込みをしてください。あなたには、ハンドルネームを変えたり複数のハンドルネームを使う権利は与えません。

 

 

 

 

 

 

平成20年9月26日

               まごころ教育友の会代表

                   大山大仏

                         戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【43】映画『学校W』より … インナーチャイルド

 

映画『学校W』を、昨夜見た。PSXが故障していたのが一昨日修理完了したので、その夜録画していたのである。

今回のテーマは、不登校。

 

学校へはいくものだ。という《日常の常識》が義務教育という名のもとに日本中を覆い尽くしている。しかし、義務教育というのは、『国家に都合の良い人間(国家社会でうまく生きていける人間)を育てるための教育の義務』ということなので、当然その《日常の常識》から《精神の非常識》へ流れてしまう子供も出てくるのである。

 

その時、周囲に理解があればよいが、理解がない場合は精神的な危機となる。

 

精神の安定―これが最も大切なのだ。精神の安定を求めて、《日常の非常識》にさかのぼることを選ぶ。すなわち、不登校や引きこもり。あるいは、別の形で日常の非常識を選んだ場合、警察に報道されるようなことを起こり得る。

 

昨夜の映画では、主人公の少年が冒険の旅に出る。「屋久島の大杉に触りたい」というその一念から。ヒッチハイクをしながら、九州に向かう。途中、ある青年に出会う。家に引きこもって2000ピースのジグソーパズルに熱中している少年に。彼もまた精神の安定を求めて《日常の非常識》までさかのぼっている少年だった。

私はこの映画を観ていて、この二人の少年の出会いはとても大きかったと思う。「自分一人じゃない。苦しんでいるのは自分一人じゃないんだ」ということがお互いに確認できたこと。

 

少年はさらに旅を続け、念願の屋久島の大杉まで行くことができる。しかしその帰り道、あわや遭難かと思われる命の危機に遭遇する。

 

そして…。少年は、無事、旅を終えて、家に帰ってきた。

 

「今怒ってなければどうするんだ」と息巻いて、妻が止めるのを振りほどいて、少年の2階の部屋へ上がる父親。

ノックした戸を空けて少年の部屋に入る父親。

そのとき、少年がとった、なんでもないような小さな動作。

実は、これが、この冒険の旅の集大成であった。

何を言うでもない、少年は椅子を寄せて父親に差し出す。「座って」ということである。そして自分は横のベッドに座る。このごくごく自然な動作。家出していた少年を怒ろうとして上がってきた父親は、椅子に座って少年と隣りあって並んで初めて、はじめて少年と心を寄り添わせることができる。

少年は「心配かけてごめん」という。父親にはもう少年を怒る気持ちはなくなっていた。

少年の《精神の常識》が、父親の《精神の常識》と一致したのである。

 

 

その後少年は、1ヶ月以上も登校でできてなかった学校の教室へ一人で入る。不登校の子が見たらとても耐えられないような緊張の一瞬である。それまで雑談していたクラス全員の雑談が止み、少年ひとりに視線が注がれる。

しかし、明らかに、少年は以前とは違う。強くなっている。《精神の常識》をとりもどした少年は、今度は逆に《日常の非常識》の中を生きていってやろうという自主的な心を抱いている。

 

これは大きい。これこそ大きな大きな宝である。冒険の旅によって、少年は、『日常の非常識の中を自主的に生きていく力』を得たのである。

 

さて、最初の部分に戻ってみたい。《日常の常識》の中で生きていけなくなり、《日常の非常識》から再出発することを少年は無意識的に選んだ。ここが大切なところである。

 

《日常の常識》の中ではダメであるとされていること(すなわち《日常の非常識》)が、実は精神世界にとっては大変大きな意味を持つことがあるのである。

 

この《日常の非常識》に流れをさかのぼって、何かを求めることが、

傷ついた心を大きく癒してくれることがある。

 

では、いったいどうやってさかのぼればいいのだろうか。

 

それを教えてくれる言葉がこれである。『インナーチャイルド』。

すべての人間は大人も老人も青年も、心の中に、小さかった時の自分を持っているという。その自分と会話するのである。そして、インナーチャイルドが何を望んでいるかがわかれば、それをすればいい。インナーチャイルドは、時として《日常の非常識》を望む。

 

映画の主人公の少年のインナーチャイルドは、「屋久島の大杉に触りたい」と言っていたのだ。九州で出会った青年は、「ジグソーパズルをしていたい」と言っていたのだ。どちらも、日常生活に置いては非常識であるが、精神世界で見れば極めて健全な生き方をしている。

 

最後に書籍を紹介しておく。

文字通りの本、『インナーチャイルド』(NHK出版、¥1,600)である。

 

 

 

 

 


右にある絵は、この本の中にいくつか挿入されている絵のうちのひとつである。大変重要な意味がある。もう大きくなった大人がいるのが見えるであろう。その中に、何歳くらいだろうか、小さかったときの自分がいる。これがインナーチャイルドである。

 

その右の図では、彼のインナーチャイルドが「○○がしたい!」といっている。

実は、インナーチャイルドは万能の神などではないのであって、わがままも言うし、泣いたりもする。その声を聴いて、大人の自分が、自分のうちにいる小さな子供のインナーチャイルドを育んでいってあげるのである。

 

このことについては、機会があればまた触れたい。

 

 

 

平成20年9月27日

               まごころ教育友の会代表

                   大山大仏

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【44】 cocoさまへ … はるかな祈りをこめて

 

 

中学生の母です。河村先生のページを拝見しました。いろいろお話したいこともありますが子供の生活を守るため今はじっとがまんしています。後一人卒業するまで、このままがまんしなければならないかと思うと情けなくおもいます。

coco

 

 

 

お気持ち大変よくわかります。まごころ教育友の会へのメールをどうもありがとうございました。

 

>子供の生活を守るためじっと我慢しなければならない。

 

本当にその通りですね。それは、土居町の恐怖支配体制の中の、さらに特異な空間である土居中学校の中にいる者でなければわかりません。お子様を土居中に通わせている保護者の皆様のほとんどは、coco様と同じお気持ちなのではないかと思います。

 

その意味で、多くの生徒たちと保護者の皆様は、被害者です。罪もないのに、恐怖という爆弾を背負わされ、親にしてみれば子供を人質に取られ、毎日無事帰って来れるかどうか気が気ではない。目をつけられないか?いったん目をつけられたが最後、これまでの例通り、ことごとく抹殺されてしまうから。

 

 

 

しかし、今大変重大な局面にかかっていることは確かです。土居町と土居中が20年間誤った道を歩きつづけ、今まさにそれが“破たん”しようとする時にさしかかりました。山の川の流れを思い出してください。サラサラと川の水が普通に流れているようなところでも、急に流れが速くなり岩にぶちあたって砕けます。今そのような場面です。

 

まごころ教育が世に出て、これまで彼らが隠し続けてきた悪事が白日のもとにさらけ出されました。

 

彼らは、今おびえています。自分たちの悪事がすべて表に出れば、簡単な処分などでは済まないのです。教師であるが懲戒免職などではすみません。懲役○年という刑事罰が付いてくるでしょう。まごころ教育が世に出てまだ9ヶ月が経ったにすぎません。しかし、この間、彼ら教師悪集団と同和団体がこのサイトを抹殺するために費やしたエネルギーは、通常彼らが費やすエネルギーの数年間分に相当します。それでも、このサイトは消えませんでした。

 

神様はこのサイトを応援してくださっています。

 

彼らは、見境なく、あちらでもこちらでもA教諭をつるし上げています。

彼らには、お決まりの『偽文書作成マニュアル』があります。

A教諭の例でいえば、全然何もなかったことを捏造ができない。ただし1月16日のようなことがあれば、わざわざそれを100倍に拡大して事件に仕立て上げ、細部は自分たちに都合のいいようにうそ八百並べたてる。

これは、8月21日のつるし上げ大会や、一学期保護者会や、昨年度3月期の学年集会などで、悪幹部集団が、本人のいないところでA教諭について好きな事をまくし上げたのと同じです。実際にあった事実のうち、自分たちに都合の悪いものは除き、なんとかなりそうなものだけをピックアップして、それらを自分の都合の良いように組み合わせていくのです。単語と単語の間には、自分たちの印象が良くなるように、そしてA教諭の印象が悪くなるように文書を並べてつなぎ合わせていきます。

 

彼らは、もう手段を選ばず(それは以前からも同じでしたが)、今は『見境なく恥も外聞も捨てて』というのがふさわしいと思います。彼らは、今はもうそのような末期的状況で大騒ぎしているのです。

 

 

 

 

このサイトも間もなくアクセス数が5万件に達しようとします。

社会的認知は1日1日と上がっていっています。

そういう中で、coco様が、メールをくださったというその行為が、このまごころの細やかな流れにささやかな勢いをつけてくれます。心から感謝申し上げます。

 

 

 

ところで、最初のcoco様のご文章で、私が気になることを一点だけ申しあげさせていただきます。

 

>このままがまんしなければならないかと思うと情けなくおもいます。

 

というところです。本当にそのお気持ちはよくわかります。けれども気になるところというのは、私が、最近つれづれに書いているように、

「このままがまんしてくると、土居中の《日常の常識》に合わせることによって、お子様の精神が異常な負担を抱えてしまい、10年後それらが精神のひずみとなって表われますまいか?」

ということです。

 

土居中が荒れていたという頃の中学生たちは、10年20年たった今、たいへん立派な大人になっています。

 

土居中があまりにも人工的に落ち着いているように無理矢理調整されている今の中学生たちが、10年20年たったその時、どのような大人になっているのか、それはまったく不明です。

 

ましてや、絶対倒産しないといわれていたリーマンブラザーズが倒産し、AIGに公的資金が投入されるという世界経済未曾有の危機がやってきました。今は、アメリカ、中国、ヨーロッパ世界中どこでバブルが弾けて世界恐慌に突入してもおかしくない時代です。

 

土居中生が、

「どうせ何をしたってムダ。嫌なことからは目をそらすのみ。見て見ぬ振りが一番。」

ということを心の中に刻印して大きくなってしまったら、10年20年たった将来、自分たちで危機を切り開いていくエネルギーがなくなっているのではないか、それを心配するのです。

 

教育は、10年20年先を見て行わなければなりません。

悪徳教師の自己利益のため、悪徳団体の自己利益のために、ただ学校の目先の安定をのみ見て、生徒一人一人の心を見ようとしない今の土居中学校の完全に間違った教育。いえ教育と言えるものではありません。狂行です。

 

このような学校の教師が書く調査書に、なんの信頼がありましょう?

まごころ教育では、高校の先生に向けて、そのことも発信していきます。

 

 

 

 

生活を守るために、じっと息をひそめてがまんして動かないことが必要な時もあります。そのようなときには、徹底的にそのようにしてください。それは、戦いにおいて必要なことです。

ただ、やっていて情けなくなるようでは、逆に自分の心に傷がついてしまいます。子どもさんの10年後、20年後に遥かな眼差しを置いて、現在どんなに苦しくても誇りを持って生きられるように、お子様と話し合われてください。

 

 

土居中は、教師の生きた標本モデルの場所だと言えます。

なぜ、一人の教師が、土居中へ来て「正しいことを正しい」と言えなくなってしまうのか? 

なぜ、一人の教師が、自分の保身のために生徒や同僚を売ることができるようになってしまうのか? 

そしてまた、そのような地獄のような中にありながら、自分が倒れても生徒を守ることを最後まで貫く教師がいるのか?

 

A教諭やH教諭は、自分が倒れても生徒を守ることを最後まで貫きました。

 

狂った土居中にあって、そのような生き方ができることを証明しました。

 

生き方は自分で選ぶことができます。どうぞ、10年後、20年後のお子様の大切なものをお守りなさいますように。しのぶときはしのび、退く時は退き、そして立ち上がるときは立ち上がることができますように。

 

 

 

神様の愛と智慧の光が降り注ぎますよう。お祈り申しあげます。

 

平成20年9月28日

               まごころ教育友の会代表

                   大山大仏

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【45】県教育長と市教育長は、早急に!! 緊急!!

 

[1453] 近藤寛・須山三陽さん  投稿者:名無し 投稿日:2008/09/28(Sun) 22:50さんの投稿を一部引用させていただきます。

 

12日の保護者会満足でしたか?サイト上のことは問題にしないとのことですので、気楽にお読みください。実生活の大嘘よりかどんなにか重みがあるとおもいますが。このサイトは!
 嘘に嘘を積み重ね、教師としてと言うより人としての道を踏み外しているあなたたちに、いま何を言っても無駄な気はしますが、本当に平気で毎日の生活ができますか?
          (中略)

H先生は子供を嘘つきにさせたくないので謝ったんですね。でも死にたくなるほど、泣きたくなるほど追い詰めていたのは事実ですよそれに気がつき、心をいためていたのは子供たちだけだったようですね。

もういい加減にやめませんかK先生やH先生のように先生方を落とし入れたりいじめるのは!きたなすぎます。かりにもあなたたちはこれからの輝かしい未来を生きる生徒のこころを育てる役割を果たしている教師なんですよ。いいかげんに眼を覚ましてください。それでないと安心して子供を預けることができません。怖くて!

幹部の先生方はいくらでも保護者や大衆の前で嘘の内容でも話せます。しかし、K先生やH先生はそんなチャンスも与えられていないような気がします。違いますか?一度H先生も呼んで話をさせてあげてほしいといったとき、須山さんに見事にけられました。本当に卑怯です

親もいいかげん切れますよ!本当にお二人の先生がおきのどくです。保護者のみなさんそろそろ正義が通るよう腰をあげませんか。

教育長さん本当にみえませんか真実が!どなたが嘘をいっているのかが。しっかりしてください。あなたが処分をくださなければだれが収集できるというのですか。

 

さて、急を要するので、私は、名無しさんの最後の叫びのみを、繰り返させていただく。

 

>教育長さん本当にみえませんか真実が!どなたが嘘をいっているのかが。しっかりしてください。あなたが処分をくださなければだれが収集できるというのですか。

もはや、土居中の問題は、四国中央市だけの問題ではない。任命権者の県の責任が問われている。

市教育長さん。見えてますよね。

時間の猶予はないのです。

以下を、失礼ながら、切実にお願い申し上げます。

 

○直ちに、土居中幹部教師に、職務命令を下してください。

○臨時全校人権集会を開き、幹部教師は、一人ずつステージに上がって、自分の行ってきたことの非を具体的にすべて挙げて、生徒たちに謝罪するように。

○さらに、緊急全校保護者会を開き、全校の保護者に、同様に一人ずつステージに上がって謝罪するように、職務命令を下してください。

○さらに、8月21日の会で勝手に招集された土居町の教職員を臨時で集めて(自由参加)、同様に一人ずつステージに上がって謝罪するように、職務命令を下してください。

 

それを彼らが一刻でもためらうようなら、すぐに県に報告してください。

 

 

 

そして県教育長さんに、切実にお願い申し上げます。

直ちに、厳罰を下してください。

 

彼らの『不服申し立て』など恐れる必要はありません。8月21日の会の出席者が証人です。K藤寛教諭と、H宮久忠教諭がどんな発言をしたのか?

彼らがやったことは、すべてがウソの塗り固めですので、『不服申し立て』が通る可能性は0.1パーセント未満です。

 

むしろ、すぐに厳罰を下して、土居中の正常化に着手してほしい。

土居中幹部教師の厳罰なくして、正常化はありません。

そして、厳罰を下したとき、マスコミは味方についてくれるでしょう。

 

失礼なお願いではありますが、どうぞ真意をお分かりくださいますよう、頭を下げてお頼み申し上げます。

市教育長さん、県教育長さんが、もっと早く彼らを処分することができていたら、H教諭は倒されうにすんだと思うのです。

もう、土居中では、次の人が狙われています。

事態の解決には、スピードを要します。

 

処分(懲戒免職)ありきです。それに値する犯罪を十二分に彼らは犯してきました。

 

もしくは、彼らが、全面的に非を認め謝罪すること。これまでの悪事をすべて洗いざらい自白すること。そうすることができれば、本当に変えていくことができるかもしれません。しかし、それは今の彼らの様子を見る限り、十中八,九、できないでしょう。

 

 

直ちに処罰して、生徒の前から、彼らの姿をまず消すことが必要だと思います。

 

 

生徒たちの心のケアのために、早急にそうすることが必要なのです。

 

土居中生徒の皆さん。皆さんが唯一信頼できるH先生は、かれら幹部教師の手によって潰されました。H先生は、A先生を罪に陥れようとする幹部連中にただ一人従わず、最後まで真実を訴えて、それがゆえに、陰謀にはめられ、倒されました。真の教師でした。

 

それを知ったあなたたちが受ける心のショックを、私は心配します。

土居中教師集団の醜さ。それを知ってなおも、普通に学校生活ができるのでしょうか? できる人はしてください。 できない人はどうしたらいいのでしょうか?そういう人は、どうぞ遠慮なく、まごころ教育友の会へご相談ください。

少しでも、皆さんの支えになれれば、と思っています。

 

 

あとは、両教育長さんの連携によって、正義の処分が下ることを願います。

どうか早急にお願いいたします。

 

 

平成20年9月29日

               まごころ教育友の会代表

                   大山大仏

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【46】『「狂い」のすすめ』ひろさちや著 集英社新書

 

悲しい気分でいっぱいである。H先生が心身疾患を発症し、学校を当分休むようになったということ。私は一大事だと思う。A教諭が潰されてから、その教訓が生かされず、改善もされず、それどころかA教諭の時と同様に積極的にH教諭に圧力をかけていた。

そして8カ月後。ついにH教諭は倒れた。倒されたのである。

 

A教諭も私も、うつ病患ったことがあるので、その苦しみは自分のこととしてよくわかる。しかしうつ病から回復すると、もうすでにあの時の苦しみは自分を離れている。

 

A教諭の場合、うつ病からの回復期に自律神経失調症に見舞われた。その体に現れた症状の苦しみの中で、土居中ではひどい暴力的な扱いを受けたのである。その苦しみは想像だにし難い。彼は言う。「生徒が居たおかげで、1年間楽しくやれた」と。今も彼は休職中である。そんなに休職が長くなるとは自分自身思ってなかったという。自律神経失調症の苦しみの上に、さらにその病気の部分をついてくる彼ら土中幹部教師たちのパワーハラスメントは、彼に、猛烈な打撃を与えていたのだ。

 

さて、多くの人が彼を支えてくれた。助けてくれた。そして現在も動いてくれている。

 

その中で、私は彼に寄りそってきて少々無理をしすぎた。しばらく休養せねばならない。彼も同じである。

 

この状況で、一つの気持ちを皆さんに知ってほしい。

 

それは「辛い」ということである。

「理解してもらえない辛さ」。

 

次第にこのまごころ教育サイトがエキサイトしてきたことは皆さんもお感じだろうと思う。常識人は、それを非難するのだ。

そこが辛い。私は、声を大にして喉から血を流して叫びながらながら警鐘を乱打している。そんな気持ちであった。

 

たいへん大切なことだが、土居中でターゲットにされて受けた苦しみは、その体験をしたものでなければわからないのだ。これは、アウシュビッツ収容所を生き延びて奇跡的に家族のもとへ帰ってきた人が、感じるという、とてつもない悲しみに似ている。悲しみ、孤独感。

 

河村がもしも、もっと正義感が乏しく、生徒に対する愛情が少なかったならば、こうまではならなかっただろう。仮にターゲットになってやられたとしても、土居中を離れた後、気持ちをもっと早く土居中から切り離すことが出来ただろう。彼の心の中には、Bさんの「自分のようにつらい思いをする人をもう決して作ってほしくない。」というつぶやきが遺言のように刻まれているのである。

 

その思いを、理解してもらえないという辛さ。

「いや理解しているよ」と人は言うかも知れない。

違うのである。理解するということは、うつ病を理解するのと同じように、不可能ではないだろうか。言い換えれば、一種の狂気を理解することに等しい。

彼が何を言っても否定せず、傍らにそっとついていることができて、初めて理解への一歩が踏み出せるのだ。

「否定」は、即、「不理解」である。

 

私は、この点における河村の苦しさを、我がことのように感じてきた。この《まごころ教育サイト》に対して、「『過激な発言』がある」とその《自称理解者》の人たちが心配したりして、攻撃するのである。

 

わかってない。わかってないのである。自分の側に立って自分の色眼鏡で見るから、狂気のように見えるのである。

 

そのような、いわゆる日常の常識的なスタンスで行動する限り、土居中問題は解決はしないだろう。毎年毎年、被害者が作り出されるだろう。土居町だけではなく三島や川之江の方にもそのやり方が浸透していくだろう。

 

この問題を解決しようとして、常識人の方たちが動き出して、逆にサイト運営者としては窮屈になった。表現の自由が狭められた。そんな書き方をしてはいけないと言われることが多くなった。悩むところだ。

 

土居中で、同じような被害を受けて、今まさにそのなかで最も苦しんでいる人の立場に立って常に声を上げてきた。しかし、我々がそうすることが邪魔になるのであれば、我々が発信することはやめた方がよいであろう。

 

実は、病気で精密検査で入院するのを決めたのもその背景にはこういう事情があったのである。

 

気持ちというものは、作り出すのは難しく、捨ててしまうのはたやすい。私たちがここまで持ち続けてきた気持ちを、手放してしまったら、私たちは楽になるであろう。しかし、再び、あのアウシュビッツの収容所の中にいたときのような苦しさを、ありありと思い出そうとすることは、できなくなっているかもしれない。

 

最後になるが、わが東京時代の友達が、最近毎年遊びに来てくれる。そしてその後何かおみやげを送ってくれる。今年は1冊の本だった。それを取り出してみて、その表題に私の目が吸いつけられた。

 

『「狂い」のすすめ』ひろさちや著、集英社新書

 

「これだ」と思った。つれづれ草に何度も書いたことである。「狂った世界では、日常の常識が精神の非常識を生んでしまう」という話。

しかし、常識人には理解されなかったようだ。あれは、単なる観念の遊戯なのではなく、土居中がいや土居町が新しく生まれ変わるためにはどうしても必要な観念なのである。なぜ、常識人に理解されないのか、私にはそこが分からなかった。

 

であるから、私の友人がまずこの題の本を送ってくれたということ、そのことが私にはとても嬉しかった。そして私が今求めていることそれは、この表題のことである。

 

この本から少しだけ引用する。

 

―要するに、繰り返しになりますが、現代の日本の社会は狂っています。こんな狂った社会で、社会が考えるまともな生活をしてはいけません。こんな社会でまともな人間になれば、我々は奴隷になってしまいます。

だから、狂いましょうよ。狂うことによって、私たちは本当の人間らしい生き方ができるのです。私はそう思っています。(引用終わり、56ページ)

 

皆さんは、「日本」を「土居」に置き換えて考えてみればいいだけだ。

 

 

 

 

以上で1ヶ月以上続いた『つれづれ草』を終了します。

 

全ページ閉じると書いたけれど、掲示板の「トップに戻る」からまた入ることができるので、気がついた人はどうぞ、ということで、気がついたときに読んでいただけたら幸いである。

 

平成20年10月1日

               まごころ教育友の会代表

                   大山大仏

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『まごころつれづれ草』終わり