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タイモさんの掲示板への投稿を追加(08/08/31

 

 

四国中央市立土居中学校の「うつ病差別事件」

 

 

 

 

この差別事件は、2007年度の四国中央市土居中学校で起こった、A教諭およびに対する一連のパワーハラスメント事件を総称します。

 

私たちは、ここに登場してくる各個人に対する私怨は持っておりません。何よりもこのような差別事件が起こってしまったことに対して、その原因を究明することが必要であると考えます。

 

A教諭は、自分がうつ病を患ったことをも公表して土居中学校でのスタートを切りました。土居中学校は、同和教育推進校として有名な学校でした。そのような学校であるのに、なぜこんな差別事件が起されてしまうのか?

 

これはA教諭個人の問題として片付けてよいものではありません。

差別構造は、形を変えて、他の生徒や教職員などに繰り返されるものだからです。

 

新たな被害者を生み出すことは、絶対に防がなければなりません。

それが、この事件を公表する中心となる目的です。

 

 

公表する事を快く了承してくださったA教諭に感謝します。

ここに述べる一連の差別事件は、『概要』にすぎません。ここに述べてないA教諭に対する差別事象はまだ他にも多数あります。また、公表を差し控えている資料もあります。

 

今後、土居中学校の差別構造の解明に必要と判断される場合には、それらをも公表せざるを得なくなるかもしれません。

土居中学校がどこの学校で、登場してくる人物が誰であるかという詮索はして欲しくありません。(下記の註を参照)。ただし、C1〜C6の役職は認識する必要があります。組織の中心となる役職についているからです。

 

(註:これは、20082月に書いた文章です。その後状況が変わりました。学校名もS市D中学校から、実名に直しました。C1〜C6の記号については下記ではそのままですが、このサイトの別のページでそれぞれの人物名が推定されるように、修正されました。その理由については、「まごころ教育13」をお読みください。)

 

 

本質的に大切なのは、土居中学校ほど極端ではなくても、一つの組織が出来ると、権力や派閥の絡みで、同じようなことが起こる可能性があるということです。すなわち、全国のどこにおいても同様な差別事件が起こる可能性があり、最悪の場合、尊い命が失われることにもなりかねないということです。

 

さらに、同僚教師に対する差別イジメの構造は、生徒に対してもまったく同じ構造で作動することがあります。実際に、S市D中学校では、幹部教師の生徒へのイジメ事件も起きたのです。

 

 

このような見方で、以下の「うつ病差別事件」を読んでいただけたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

事件の概要

 

 

(1)        土居中学校の赴任時のA教諭の状況

(2)        土居中学校へ赴任してから1週間にして最大の危機に

(3)  C1〜C6はうつ病を誘発する危険な存在である

(3−2) 5月連休明ける。授業は楽しい。職員室は地獄。

(4)        6月。C1〜C5からの激しいパワーハラスメント

(4−2) 病気休暇強制命令

(4−3) 情報カット、ずさんな『指示』

(5)        1学期評定偽造事件

(6)        徹底した『生徒との分断』、不審者扱い

(7)        2学期。診断書無視の強制病気休暇命令

(8)        差別発言「去ね!去ね!!病気のやつは!」事件

(9−1) 1.16警察導入月事件』(前)

(9−2) 1.16警察導入月事件』(後)

10)  『不安障害』発症 追い詰められて

11)   冷たい土居中学校幹部の対応

12)  冷たい土居中学校の対応 U

 

 

 

 

S市土居中学校の「幹部教師による集団イジメ事件」は →こちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)土居中学校の赴任時のA教諭の状況

A教諭は前任校で激務のためうつ病を発症しました。約半年間休職した後、復帰します。徐々に勤務時間を増やし、順調に回復していきました。しかし、回復の過程で、心身症の症状が現れるようになります。さらに、3月下旬に突発性難聴を発症して、10日間入院し、3月30日に退院したのが、土居中学校赴任直前のA教諭でした。入院中のステロイド剤の副作用もあり、心身症の症状は強くなっていました。体温調節が出来ず、4月でも真冬の防寒着を着なければならず、また異常な発汗を伴うため、日常生活にも大変な苦労もしていました。

 

 

 

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(2)土居中学校へ赴任してから1週間にして最大の危機に

 

4月2日   体調不良を押して辞令を受け取りに出勤します。

4月3日   職員会。あいさつで、自分がうつ病盛り返していることを公表(カミングアウト)します。

4月9日   始業式で、生徒にもカミングアウトとします。

4月10 C1〜C5から体調のことで一斉に責められます。さらにそのときはまだ信頼を寄せていたC4からも1時間にわたって責められ、最後にC5からも釘を刺され、学校を後にします。A教諭はフラフラして車に乗り退職するしかないのかという思いに押しつぶされそうになりながら帰宅します。

 

4月11日  急きょ病院に行き、

「このままだとうつにまた陥る。病気休暇を取った方が良い。」

と診断されます。

 

こうして、転任校で何とかして完全復帰を果たそうとしていたA教諭には、再び病気休暇を取ることを余儀なくされるのです。

 

 

 

ここで大切なことはC1〜C5のしたことは大変ひどい仕打ちであるにもかかわらす、C1〜C5はその重要性をまったく認識していないということです。

うつ病は、日本ではまだまだ社会的偏見が強く残っており、

「自分がうつ病である」

ということは、他人には知られたくない第1級のプライバシーに関わることです。

それをあえて公表しなければ社会復帰はできないほど、社会的対応が整備されていないのです。

喜んで自分がうつ病であるなどと他人に知らせる人はいません。それほどの重大な心のバトンを渡されながら、C1たちはA教諭に対して、安心させるどころか、責めて追い詰めることをしてしまったのです。A教諭は、転任早々C1〜C5によって、退職か?うつか?という最大の危機に立たされることになりました。

少なくともこの事態の重大性をC1〜C5が認識していれば、診断結果を聞いたとき、C1〜C5が自らを修正することは十分可能だったのです。

けれども彼らのA教諭に対する対応はその後ますますひどくなって行きます。

 

A教諭にとって幸運だったのは、

・よき医師に恵まれたこと

・土居中学校の内外に、優しく寄りそってくれる教職員その他の人がいたこと

・土居中学校の生徒たちが、A教諭の「立場宣言」をしっかりと受け止めてくれたこと

でした。

 

 

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(3)C1〜C6はうつ病を誘発する危険な存在である

 

4月26日    授業の打ち合わせのためA教諭は奥様に運転してもらって土居中学校に行きます。この日校長室で起こったことは、4月10日よりも更にショッキングなことでした。

A教諭にとって必要な情報(生徒の氏名とふりがななど)はなかなか渡してもらえず、C2が長々と授業に直接関係ないことを話し、ついに体が冷たくなってたまらなくなったA教諭が毛布をかぶると、C2はこういってA教諭を驚かせます。

「『毛布をかぶっとる先生が居る』言うて、県教委に地域から電話があった。だから毛布はかぶるな。」

 

A教諭は4月3日〜4月10日の間で数回、体が冷たくでたまらないときに職員室の自席で数回毛布をかぶったことがありました。いったい誰がそれをわざわざ、県教委に知らせるのか??

後に奥様が、C1に、「あれは学校内部の人が言ったんでしょう?」と問いただしたところ、C1は否定も肯定もしませんでした。

また、仮に職員室でそうやって毛布をかぶっている教師を見た生徒がいたとして、いきなり帰って親に話し、親が県教委に連絡をするのでしょうか?

さらにまた、そのような保護者がいたとして、学校を素通りして県教委に言うほど、学校は信頼されてないのでしょうか?

さらにまた、そういった保護者が学校へA教諭の事を聞いてきたとして、学校はどのように説明したのでしょうか?

 

とうとうたまらなくなったA教諭は、何とか自分の苦しさを分かってほしいという思いで、

「目の前に苦しんでいる人がいたら、『放っとけ』とは生徒に教えないでしょう? 同和教育ではそうしないでしょう?」

と言います。

突然、C3とC2が「同和教育とそれとは違う」と怒りだします。そしてA教諭と口論になります。

これも、A教諭にとっては、意外でショッキングなことでした。土居中学校は同和教育を熱心にやっているという評判の学校だったので、最後には自分の苦しさを分かってくれるはずだ、とA教諭は信じていたのです。その思いは、このような形で、学校の3人のリーダーによって打ち砕かれました。

 

さらに。

4月29日    C4からA教諭の自宅に電話がかかってきます。

ベッドで横になったまま、A教諭は話します。授業に備えて、生徒の配慮することなどを教えてくれるのかと思っていたら、「4月26日にC1室で大声を出したことについて謝れ」ということでした。(生徒に関して配慮を要することについては、その後現在まで、A教諭には一言も伝えられていません。)

 

校長C1、教頭C2、教務C3だけでなく、3学年主任C4までもが、束になって責めてくるんだということが、こうして、はっきりと分かったのでした。

 

 

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(3-2)5月連休明ける。授業は楽しい。職員室は地獄。

 

5月2日        A教諭、初めての授業の日。

朝、職員室へ入って「おはようございます」という。しかしすぐ近くにいたC2〜C6は無視。あまりにもあからさまなその態度に、A教諭はこれから後、自らC2〜C6と接触することは避けざるを得なくなってしまいました。

約1年半ぶりの授業における、生徒たちとの出会いは、A教諭にとって感動的でした。

職員室はA教諭にとって危険な場所でしたが、授業は日々癒される場所だったと言います。

 

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(4)6月。C1〜C5からの激しいパワーハラスメント

 

A教諭は、時間休をとりながらも徐々に体調が良くなって、5月下旬には勤務時間を増やせるようになりました。ところが、C1〜C6はA教諭のパワーハラスメントをおかまいなくかけ始めます。(それまではA教諭がいないところでの悪口でした。)

 

61日。校長室。C1・C2が同席で、まず、C2がA教諭の奥様に、人権無視もはなはだしい差別に満ちたことを畳みかけます。A教諭が、体温調節を助けるために医師の指導のもとに行っていたこと(ホッカイロを貼る、サポーターで暖を取る、防寒着を着る、自律訓練法をする…)を、全てやめるようにA教諭に伝えよ、というのです。

「生徒が家に帰って言ったら、地域の人がなんと思うかわかんから」

これがC2の頻繁に言う口実でした。

 

本音のところは、「A教諭潰し」が目的でしょう。自分の意に添わぬ者をつぶす、という魂胆が見えます。

 

ただし、上記の口実には、本音も見え隠れします。そこにあるのは、自分の保身です。だから部下の体調などどうでもよく、自分の立身出世・保身のために、学校が安定することのみを大切にしようとする姿勢です。

(このような者にとっては、学校も生徒も全て自分の目的を果たすための道具になってしまいます。)

 

 

C2は、さもA教諭のことを心配しているかのような言い方をしながら、人権侵害もはなはだしいことを言っていたのでした。

 

その後C1〜C6が繰り返しA教諭に言った、「ウロウロするな」という暴言は、このとき、公的には初めてC2の口から出たのでした。

C2「A教諭が給食準備中に廊下を歩いたら生徒が怖がるから、歩かないように伝えろ」と。

 

このとき以来、A教諭は、学校の活動に参加することを妨害されるようになります。

 

そのための最大の圧力は、事項で述べる『病気休暇の強制取得命令』でした。

 

 

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(4)―2 病気休暇強制命令

 

C2は、A教諭の奥様に、「授業以外はすべて病気休暇にするように」命令するのです(C1同席)。

C2はかなり悪知恵が働くことが分かります。自分が後で責任を問われるようなことはしません。対人交渉などにおいて、自分は表に出ずに、C3〜C6など、他の人物にそれをやらせます。C1をも巧妙に動かします。

このときも、C2は、巧妙にそれをやってのけました。

 

その後、体調がまだまだ十分でないA教諭は、不本意にもこの病気休暇強制命令を呑まされます。授業で使うプリントの印刷や教具の準備などは、全て自宅で、この強制病気休暇の時間に行っていたのです(もちろん自費で)。

ごていねいなことに、A教諭の出勤簿もC2が押して病気休暇時間を書き込んでいました(もちろんA教諭には有無を言わせずに)。

 

 

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(4)−3 情報カット、ずさんな「指示」

 

6月には、生徒にかかわることで必要な情報もA教諭には回ってこなくなりました。

行事予定などは、良心的な方から個人的にまわしてもらって、A教諭はなんとかやっていたようです。

けれども、とりわけ授業に関する情報が、教科の中において回されなくなっていました。

一学期期末テスト範囲は知らされず、A教諭は授業中生徒にきいてびっくりしたそうです。テスト範囲がむちゃくちゃに広く、それを決めるのはA教諭には全く相談もされていませんでした。テストの問題用紙も渡されないままでした。

 

また、自分たち(C2〜C6)にとってどうしても必要な所についてのみは、情報を下ろすのですが、それがいつも、締め切りギリギリになってから、突然指示を出してくるという始末。

中間テストをまさに返却しようとしている授業の、開始チャイムが鳴る数分前に教室へやってきて、「問題別の正誤を控えておくように」と言われたり。評定締切日の前の日に、「評定は自分がつけるから、これこれの資料を渡せ」と言われたり。こうして、A教諭はかなり振り回されたようです。

 

 

これは、一概にC6の悪意のみとは言えません。それは、中間テストが102点満点になっていたことからも分かるのですが、C6にはややずさんなところがあります。けれどもその102点満点の処理についても一言もA教諭に言ってきませんでした。

これらのことは、前項のC2の行いに比べれば、その悪意においては軽いといえます。けれども、事項で述べる2007年度1学期最大の事件につながってしまうことなので、やや詳細に記述しました。

 

 

A教諭の奥様は、何度もC1に、「必要な情報は主人にまわしてほしい」と訴えてきたのですが、C1はその都度うやむやにして、適切に対処しようとしませんでした。

 

以上のようなことが重なり、A教諭の疲労はピークに達していたようです。入眠剤を通常の倍量飲んでも入眠出来ない日が続き、主治医からは、「仕事を早め早めに計画的に片づけて決して急激なムリながんばりをしないように」と警告されていたそうです。

 

 

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(5)一学期評定偽造事件

 

評定の出し方についても、A教諭には一切知らされませんでした。A教諭は、職員会資料を読み込んで、研究しました。そして、締め切りに間に合うように計画的に評定を出し、評定締め切り日の朝、成績一覧表に評定を書き込みました。その後、A教諭は帰って.寝込みます。

 

その後、この評定偽造事件が起こりました。C4から、自宅に電話がかかってきて、次には病休で休んでいる自宅まで押しかけたそうです。C4の言うのは、

「観点1(関心意欲態度)のAのついている人数が多すぎる。もっとAをつける人数を減らして、Bを多くせよ。またCもつけろ」ということでした。

A教諭は最後まで了解しませんでした。

4月10日から19日の間に、学校ぐるみでA教諭の自宅に圧力がかかります。

A教諭は奥様が鬱病になってしまうのではないかと御自身苦しい中で心を痛めました。

それでも最後まで、観点1の評価については変更することを認めませんでした。彼らの要求はやや軟化して「CはつけなくてもいいからBを多く増やせ。」となりました。激しい圧力の中、とうとうA教諭は折れざるを得なくなります。「Cがつく子は絶対にいません。Bをどうするかについては校長先生が自分の責任においてご自分で判断してください。」(その時点では、まだC1を信頼していました。)

 

またうつに陥るかもしれないという切迫した中ではどうしようもなかったことと思います。

 

 

その後A教諭に成績がどうなったのかは一切知らされませんでした。

 

終業式の日、成績一覧表を見たA教諭はびっくりしました。あれほど最後まで否定した「C」が、二人の生徒についていたのです。

 

 

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(6)徹底した「生徒との分断」、不審者扱い

 

1学期の授業におけるその2人を生徒の歩みを思い出して、A教諭は納得がいきません。あの二人だって納得できないだろう。そう思ってA教諭は、一度は帰宅したのだけれど、その二人の生徒に「またがんばろうな」という一声をかけたい一心で学校へ向かったそうです。

 

けれどもA教諭を見つけたC4がA教諭にぴったりとくっついて離れようとはせず、A教諭が生徒と接触しようとするのを断固阻みました。

 

A教諭は「C」をつけられた二人のうち、一人とは奇跡的にあって声をかけることができました。しかしもう一人と会って声をかけたとき、3年学年主任C4に阻まれ、その後、C6、C1までもが出てきて、A教諭を学校から追い出そうとします。この露骨な「不審者扱い」にA教諭は大変ショックを受けました。

 

 

この「不審者扱い」は、その後もより徹底され、2学期へとつながっていきます。

C2は、土居中学校の教職員らの中の自分の意に沿う連中に、A教諭の動向を見張らせます。そして、A教諭が生徒と、授業以外で親しく接触しそうな時は、すぐ報告させるようにしました。

 

それは、一つの組織的な動きとなって、土居中学校に現在も潜在化しています。

 

A教諭を心配してくれる人も土居中には大勢いるのですが、C2のスパイの目を感じるA教諭は、「自分を心配してくれる人達に迷惑がかかってはいけない」と思い、授業以外では気を許して動くことができません。これは大きなストレスだと思います。

 

 

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(7)2学期。診断書無視の強制病気休暇命令

 

夏の休暇で体調がよくなったA教諭は、9月完全復帰を目指します。

 

しかし、再びC1から、

「体育祭の練習も予行演習も役割分担に入っていないのだから、

出勤してはいけない」

と強制病気休暇命令を下されます。

 

このためA教諭は、体育祭の予行も当日も、学校へ出ることを許されませんでした。

 

A教諭は8月末に、主治医から

「スモールステップで徐々に勤務時間を増やしていくことが必要である。」

という診断書を貰い、C1に提出していました。それにもかかわらず、このような強制病気休暇命令が、その後も何度か出されます。

 

ある時、校長室へ呼ばれてA教諭が入っていくと、C2が校長机の横に仁王立ちしていました。A教諭は即刻C2の退席を求めます。しかしC1が応じないので、A教諭が退出しようとすると、C1は職員室まで追いかけて来て、「出勤簿にはハンコを押したらいかん。」

A教諭は、「校長先生、自殺対策基本法は読んでくれたんですか。」

C1「いや、まだ。」(9月にA教諭はC1に自殺対策基本法と大綱を読んでくれるようにお願いしていたのです。)

 

一学期4月10日以来、職員室でこのようなパワーハラスメントが行われるのを見てきた心ある人は、胸をいためています。しかし何も助けてあげられないと悩んでいます。

 

 

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(8)差別発言「()ね!()ね!!病気のやつは!」事件

 

(「去(い)ね」とは「帰れ」の方言です。)

 

C3は教務という(管理職に次ぐ)役職にありながら、このような発言を一学期から繰り返してきました。C3は、けんかを売るように、あるいはの教職員の前でこれ見よがしに、A教諭に対してふっ掛けます。

 

 

5月○日。朝。職員室で他の教職員のいる前で嫌がらせ。

「先生、ボーナス出るんじゃきに、無理して居らんでええけん、帰ってください。」

A教諭は一瞬、誰に言っているのか分からなかったそうです。

 

「アイツはろくに仕事もせんとボーナスはもらうんか」と、他の教職員たちに思わせるこの行為。教職員集団の中でA教諭を孤立させようとするこの行為の悪質さは、単にA教諭に対してのみ向けられたものではありません。鬱病で苦しむ何百万という人、そしてまた今後増えていくだろう鬱病に苦しむ生徒たちに対して向けられているのです。

 

 

9月○日。職員室でA教諭に。

「先生、病気なんじゃきん、うろうろせんとってくれる」

 

これらの発言は、C3からA教諭に対して、職員室で行われています。

(いずれの場合もC2がその背後にいます。ただしC3は、C4C6とはやや特徴を気にします。多分にC3自身の性格による攻撃性もあるでしょう。)

 

いずれも、病気(鬱病)という本人の努力だけではどうしようもない辛い状態に対して、このような悪質な差別発言を平気でできるのです。そこには土居中学校の職員室にその行為を許す土壌が存在するということなのです。

 

 

9月○日。ついに、職員室以外の場所でも、悪質な差別発言がA教諭に投げつけられるようになります。4時間目終了後、A教諭が職員室を出ると、

C3

()ね!()ね!!病気のやつは!」

A教諭にいかにも憎らしそうに投げつけました。給食準備中の廊下でした。C1も2〜3メートル離れたところにいて、この出来事をはっきり見ています。C2も4〜5メートル離れた反対側にいます。

 

 

その後、A教諭がC1に、C3からの謝罪を要求したとき、

C1は「自分は難聴だから聞いてない」と開き直ります。そして、「今はそういうことはないんだから、いいでしょう」と言ってウヤムヤにして済まそうとします。

C3が平気で上記のような行為をすることを助長している、管理職C2とC1の責任には、大変重たいものがあります。

 

現在に到るまで、謝罪は一切ありません。A教諭は、土居中学校の教職員集団の中で、以上のようにして追い込まれ、孤立させられています。このため、現在も、職員会に出ることが出来ません。

 

※         ※         ※

 

C3は直接暴力的な行動を実行してしまう(これまでに、実際に足や手を出されて被害を受けた教師も複数います)のが大問題です。

一方、C2が陰でC4らと好き放題に言い合っている悪口は、それは、ひどいものです。(A教諭に対してだけではありません。たくさんの土居中学校教職員や、さらにPTAや地域の人に対しても。)

これらについては、別に追究する必要があるでしょう。

 

 

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(9−1)1.16警察導入事件』(前)

 

とうとう、C2〜C6がA教諭を追い詰める、大きな事件が起こります。

 

116日。たまたま、生徒{Bさん}の一人(ここではBさんと呼びます。)と、その日の朝会ったA教諭。Bさんが「今日転校する」と言うのを聞きます。

「えっ!!??」と驚いたA教諭は、「それはちょっと待って。話を聞かせてくれ」と言います。その日の午後、保健室で着替えていたA教諭(更衣室は幹部連中がランチルームにしていて使えない)。そこへBさんがやってきます。

こうして、A教諭はBさんの話を聞く時間を神様から与えられました。

11月以降Bさんが、C2〜C6から執拗にいじめられてきたことを聞いて、A教諭は「すまんかったなあ。気になっとったんよ。もっと早ように、話聴いてあげれとったらなあ。」とBさんに謝ります。A教諭は本来穏やかなBさんが時々険しい表情になっているのを目にしてずっとBさんのことが気になっていたのです。

 

とりわけBさんを苦しめていたのは、C2とC4が嫌がるBさんを強引に授業に連れ出そうとすることでした。C2が表に出てくることは珍しいのですが、C4がピッタリと張り付いて神経をかきむしってくることは、A教諭も1学期成績偽造事件で不審者扱いされた時に体験していてよく分かりました。Bさんは「時々殴ってやりたいと思った」と述懐します。A教諭には、自分のことのようにその気持ちが分かります。「よう我慢したなあ」と、そういうのが精一杯でした。

 

それでも、転校するのを引きとめようと、A教諭は訊きます。「もし、C2〜C6がちょっかい出さんようになったとしたら、どう?それでも転校したい?」Bさんの返事は「そうなるんなら、転校はしとうない。」また、A教諭は訊きます。「どんな人の中にもインナーチャイルドいうて、小さかった時の自分が居るんよ。Bさんのチャイルドは、今何を一番したいといよるかな?」Bさんはすぐに答えます。「ここで、静かに座っとりたい。」

 

清掃が終わった時、A教諭はBさんに訊きます。「終わりの会に行かんか?」

もしも、これで、転校するとしたら、今日が土居中学校最後の日になってしまう。友達に分かれも告げないまま分かれてしまうなんてあまりにもさびしい。A教諭はそう思ったのです。

Bさんは、「いや、行かん。」A教諭「どして?」Bさん「もし、友達の顔見たら、転校する決心が揺らいでしまう。」

 

A教諭は胸が一杯になります。『もう、そこまで追い詰められてしまっていたんか…。』

 

だまって、2人並んで座っていると、Bさんが口を開きます。

「もう、自分みたいな苦しい思いをする人には出て欲しいない。」

 

その少し後でした。終わりの会終了のチャイムが鳴ります。このあと、教室で合唱練習をすることになっていました。

 

そこに、C4がまた来たのです。

 

 

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(9−2)1.16警察導入事件』(後)

 

 

C4が、Bさんに「合唱練習、行かんか。」といいます。

Bさんは黙って座っています。

A教諭が、Bさんの代わりに答えます。「行けん。」

C4はそれを無視します。

 

さて、ここで、重要な事ですが、C4はこのようにして、Bさんを追い詰め、またA教諭を差別してきたのでした。C2〜C6はA教諭の存在を無視して、保健室でA教諭が生徒の悩みを聞いているようなときでも、平気で割って入って、A教諭と生徒を引き離してきました。普通なら、教師と生徒が話をしている時に割り込むときには教師には「ちょっとすみません。割り込んでもいいですか?」と聞くでしょう。生徒にも「ちょっといいかな?」と聞くでしょう。

 

この学校では、そのような当たり前のことがありません。

 

A教諭が、Bさんの代わりにもう一度答えます。「行けん。」

C4は相変わらず無視して動きません。

 

ついにA教諭は声を大きくして「行けんのよ!」といわざるを得なくなります。

A教諭はC4を保健室から外に出そうとします。土居中学校最後の日になるかもしれないBさんが、目の前で、これまで1ヶ月以上にわたってきて苦しめられてきたその張本人から、また同じ苦しみを与えられる事を、どうしても見過せなかったのです。

 

A教諭がC4に保健室を出るように声を大にして促しながら、保健室の出口に向かっていると、C5が入ってきます。C5にも保健室を出るように声を大にして促しながら廊下へ出ます。

 

このC5も、A教諭のことをこれまで不審者扱いしてきた人物でした。

C5は廊下で、「ハイハイ、相談室じゃ」と言ってA教諭を相談室へ連れ込もうとします。『自分が相談室に連れ込まれたら、その間にC4がBさんをむりやり引っ張り出していくだろう』とっさにそう考えながら、A教諭は抵抗します。しかし、C5は、その大きな体でA教諭を押していきます。

 

ここで、一つ問題点を指摘しておきましょう。C5は前任校で《手を出したら体罰になる》ということはしっかり学習してきたようです。このときも、A教諭に手で触ることはしていません。胸でどんどん押しているのです。A教諭は「当たるな!」と何度も叫びながら抵抗します。

そして、A教諭の左ヒジがC5の右頬に当たります。

 

C2が「殴ったんか?」

C4が「殴った」

C3が「よっしゃ、警察じゃ」、

C1はその様子を見ていてとめようともしません。

C3はすぐに警察に電話して出動を要請します。

また、C2はH議員に電話してすぐ来るように頼みます。

 

ここまでがわずか数十秒。

 

その後、C4が狂ったようにA教諭に罵声を投げつけ(「くそばか、おどれやー!」)、A教諭は「お前ら教師が生徒をいじめよんじゃ!」と怒鳴り返します。

 

以上のことは約3分で終結します。

 

校長は後に、「A教諭がずっと暴れて手のつけようがなかったので仕方なく警察に連絡した」というまったくウソのシナリオを公表します。A教諭がC5を殴って「ボキッ」と音がした、というでたらめも公表します。

 

さらには、A教諭がうつ病なので今後もいつ突然パニック発作的に暴れだして生徒に危害を加えるかもしれない、と言ったようなことも言います。このうつ病に対する無知・偏見こそが差別なのです。これまでの数ヶ月以上にわたる厳しい差別の中で、A教諭が暴れたことがあったでしょうか?

パニック発作はむしろ、突然呼吸が苦しくなるといった自分自身を苦しめる症状となって現れてくるものなのです。

 

酒が入ったら、口論している相手を部屋の外に呼んで殴ったり、蹴ったりするC3のような行為とはまったく違うのです。

 

常にBさんを守ろうと考えていたA教諭は、大声をあげていたけれども(C4の方がすさまじい大声で恐ろしい口調だった)、終始冷静でした。

 

保健室には、Bさんを含め他にも、生徒と保護者が居ました。この一部始終は彼らも聞いています。

 

その後息を整えて保健室に戻ったA教諭にBさんが「先生、すみませんでした」と言うのを聞いて、泣きそうな気持ちになったとA教諭はいいます。A教諭は「何言よん。そんなことないけんな。君が『すまない』やか言うこと絶対ないんよ。ワシのほうこそ、心配かけてごめんよ。」

 

学校が警察を呼んだということを聞いたA教諭は、職員室にいきます。が、C1〜C6は何も言いません。その間C5はすぐに病院へ行って「全治5日」の診断書をもらってきます(後に『土居中現役卒業生 集まりんしゃい』のサイトで徹底的にたたかれて弱気になったC5は、ついに、「この時自分は、C2とC3から『病院に行って診断書をもらって来い』と言われて行ったんだ」と漏らします)。C5が帰ってくるより前に、パトロールカーが学校へ到着。警官2名が校長室へ通されます。また、C3が正面玄関外からH市会議員を丁重に招き入れます。

 

A教諭は、いつでも警察の事情聴取に応じる構えで図書コーナーで待っていましたが、勤務時間一杯待っても誰も呼びに来ません。

 

さて、ちょうどこの日、私立高校の合格発表があり、図書コーナーにはそれを待っている生徒達がいました。A教諭が警察からのお呼びを待っている間、A教諭はその生徒たちと雑談をしました。

それが、A教諭が土居中学校で、生徒と直接話をした最後の日になってしまいました。

 

 

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(10)不安障害』発症 追い詰められて

 

 

117日。A教諭は市教委に呼ばれます。

ここで、初めて事情を説明する機会を与えられました。

Bさんを守りたい思いで、あのようになってしまったことを説明しました。

また、C5が怪我をしたということについては、謝罪の意を示します。

 

けれども、ここで、我々は推測するのですが、前夜のうちにすべての筋書きは一方的に決められていたようです。

すなわち、A教諭に謝罪させ、さらにそれだけではなくいろいろな条件をのませた上でなければ、復帰は認めない、という強硬なシナリオです。

 

A教諭は、何よりも、生徒とのつながり、授業を大切に考えていました。週3時間の授業で、三平方の定理をやる。それと平行して、入試対策も進めなければならない。1月は、全国の昨年の入試問題のダイジェストを『入試問題 日本列島縦断』と題してやっていく。冬休みにこれは15枚作っていました。2月は、愛媛県の過去の入試問題を中心にして、次第にテスト形式に慣らしていく。そして、3月は、実際のテスト形式で総仕上げ。

 

私たちが、このことをA教諭から聞いたときには、涙が出そうになりました。そこまで、授業にかける強い思いを持っていたのに、校長と次長からいとも簡単に潰されてしまうのです。

 

A教諭はその日の午後も授業がありました。その日の午後の授業について心配すると、C1は「個人的に謝ったくらいでは済むものではない。きちんとカタがつくまでは、授業には出たらいかん」と、A教諭が授業する事を禁止します。

これはA教諭にとってショックでした。

さらに、次長と校長が「先生は体調悪いきん保健室へ行くんやろうけど、勝手に生徒と話を話をしたらいかん。生徒と話をする時は学年主任と連携して…」

 

2学期末に、別のBさん(B2さんと呼びます)が『う○病』と診断されて、A教諭は本人からその事を聞きビックリしたことがありました。B2さんは自分が『う○病』と診断されたことは学年の先生にも伝えて配慮してもらうようになっているといいました。ところが、そんな大切な情報が学年主任からはA教諭には一言も伝えられていなかったのです。

 

これまでに意図的に作り出されたA教諭を孤立化させる壁の中に追い込まれて、どうやって学年主任と連携せよというのか??

 

突然、激しいだるさと気分悪さに襲われたA教諭は、安定剤を呑み、退室し、しばらく市教委前のソファで横になります。(このとき、市教委の多くの女性の方が寒いだろうと自分のひざ掛けを持ってきてくれた事をA教諭はとても感謝していました。)ようやく落ち着いたA教諭は帰宅して寝込みます。

 

私たちが心配して、A教諭宅を訪問し、彼が寝入るまでそばにいたのはこの日です。

 

私たちは、うつ病の再発を最も恐れました。

それから1週間、A教諭は寝室で寝込んで動きませんでした。私たち心を許せる仲間との話は、喜んでくれました。

しかし、私たちも、A教諭を刺激しないように、事件のことや学校のことは一切話題にも出さず聞くこともしませんでした。

 

1週間後ようやく起き上がれるようになったA教諭は、病院に行きます。そこで『不安障害』と診断されます。

 

A教諭は1週間ごとに病院に通うことになり、初めは「1週間は学校に出てはいけない」といわれ、次には「2月一杯は授業に出てはいけない」といわれます。

 

A教諭は、3月には復帰したいと思っていました。しかし、3月一杯病気休暇をとらなければならなくなってしまいました。病状はA教諭や奥様が考えていたほど軽くはなかったのです。

 

 

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(11)冷たい土居中学校の対応

 

.16警察導入事件とその後のことをA教諭から聞けるようになったのは、つい最近のことです。まだ波がありますが、次第に落ち着いてきています。

 

生徒達と心を通い合わせ、情熱をかけて授業をしていたあのA教諭のことを思うと、私たちは、怒りが収まりません。

 

少なくとも、116日に学校があのような一方的な対応を取らなければ、A教諭をここまで追いこむことにはならなかっただろうと思います。

警察を導入したことについて責任をどうとるおつもりなのでしょうか??

私たちは、このことを。校長に聞きたいと思います。

 

4月からずっと組織的にA教諭に対して加え続けてきた差別やイヤガラセが、あの結果を生んでしまったのではないでしょうか?

とすれば、1.16警察導入事件については、全面的に学校側に責任があるのではないでしょうか?

 

3月から授業に復帰したいというA教諭の思いを組んで市教委の方で2回話し合いが持たれたそうですが、A教諭はまだ出席はムリなので奥様が代わりに出られたということでした。

私たちは、A教諭の奥様からも直接お話を聞きましたが、あきれ返ってしまいました。A教諭復帰のために対応策を考えようという姿勢は校長にはまったくなく、それどころか、1.16事件のシナリオを事実とはまったくちがった形で作り上げてきて、それを強引に主張されたとのこと。

 

それで、奥様は、A教諭が3月に、学校へちょっと顔を出しに行くことさえムリだとお感じになったようです。

 

病院の先生も、学校側にA教諭を迎え入れようとする配慮のまったくないことにあきれたようです。そのような状況であることをよく把握できず、「3月から復帰したい」と言うA教諭に医師はかなり厳しく諭されたそうです。

 

こうして、A教諭が、最後に教え子達と顔を合わせたいという願いは断たれることになってしまいました。

 

 

 

 

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(12)冷たい土居中学校の対応 U

 

私たちやA教諭の奥様は、A教諭にはショックを与えないように、徐々に117日から後のことを話して来ました。

 

そんな中で、このサイトのことで学校が警察に告訴するという情報が入りました。

 

そこで、我々は昨日および一昨日と、『笑い噺』という形で、学校にもう一度考え直してもらえるようにシグナルを送ってみたのですが、学校側の態度は一向に変わりそうにありません。

 

私たちは、万一のためにA教諭にその事を伝えました。

A教諭は、大変冷静に、言いました。

 

「自分は、悪いことを一切してない。うつ病からの復帰と言うことで多くの方に迷惑も掛けたが、本当に助けていただいた。あの苦しかった中で、教育長がかけてくださったお言葉がなかったら、自分は本当に倒れていただろう。土居中学校のような特異な場所もあるが、四国中央市市にはすぐれた指導者がいる。自分がここまで倒れそうになりながらもやってこれたのは、生徒達と、支えてくれる先生と、そして見えないところで大きく支えてくださっていた人が居たからだ。そういう指導者の方々を自分は信じている。」

 

土居中学校は、今も変わらず、第2、第3、第4のA教諭(排除ターゲット)を作ろうとしています。

 

教師集団がそんな状態ですから、第2、第3、第4の{Bさん}が作られます。

 

A教諭は、もう卒業式も含めて、それまで、学校で生徒達に会うことはできないことを、完全に理解したようです。

 

A教諭は、治療に専念しているようです。

しかし、その心中を察すると、私たちには、言葉には出来ない思いが去来します。   ……

 

 

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[1109] 犯罪者もつくられた  投稿者:タイモ 投稿日:2008/08/30(Sat) 18:07

 

1月16日の警察導入事件でBさんをかばった時ののやりとりです。

>C2が「殴ったんか?」
>C4が「殴った」
>C3が「よっしゃ、警察じゃ」、
>C1はその様子を見ていてとめようともしません。
>C3はすぐに警察に電話して出動を要請します。
>また、C2はH議員に電話してすぐ来るように頼みます。

みなさん、この会話を聞いて不思議に思いませんか。
不可抗力で振り払った肘がC4の頬に当たったことで上記のようなやりとりとなります。

C2の「殴ったんか?」
    ↓
殴ったか、殴られたかはっきりわからなかった行動だったということです。
本当に危機的状況なら、かけつけていって「やめてください」とか「どうしたんですか」という緊張感のある会話があるはずです。

また、すさまじい暴力なら「殴ったんか?」と聞く前に「大丈夫か?」という怪我の状況を心配する問いかけがあるでしょう。

C2にとって最も大事だったことは、C4の身体のことでも、
トラブルが生じた経緯でも、A教諭の精神的な崩壊でもなく、A教諭が殴ったという事実だけだったのです。
(本当は暴力も起こっていないのですが・・・)

C2→C4→C3、その光景を黙認しているC1
さらには、H議員を呼び出すC2
お見事な連携プレーです。
こんなことは、マニュアルがあってもなかなかできることではありません。

仕組まれた行動と思いたくなる瞬時の判断です。
学校長がいながら学校長を超えて平気で警察に連絡できる体質。
いい大人が4人も5人もいて、本当に危機的な状況なら素手のA教諭をはがいじめにでもして、静止したでしょう。

幹部のみなさん、生徒が危機的な状況なら警察を呼ぶ前に、体を張って止めたりしないのですか?

では、なぜ殴った事実を作り上げ、警察沙汰にする必要があったのでしょうか。

それはA教諭が教員不適格者であるという烙印を押すために、そしてD中学校から追放するために・・・

日頃から、そのチャンスを覗っていたとしか考えられない行動なのです。
とても恐い推論を立ててお許しください。

その化けの皮が剥がれたのが、8月21日の会です。
「病気の者はD中に来るな」この言葉に濃縮された罵詈雑言・・・
幹部の人たちの正義と思っていることは、人の慈しみを忘れた差別者そのものです。

貴方達は、差別はこうやってつくられるんだと、身をもってみんなに教えているのですか?
それも差別者として・・・

1106の緘口令は正義までも封じ込めてしまうのですか。
8月21日を特定して、各小学校に指示を出せる立場は、市教委ですか、それとも人対協ですか?

「土居中をよくする会」の代表者の方は誰ですか?
貴方はA教諭の名誉を著しく傷付けました。
緘口令を敷いたということは、「公」の会の証明です。
必ず、謝罪しなければいけません。

人間としての基本が崩壊している意識の中で、どうやって一中学校を立て直すことができるのですか。
生徒に問題があるわけではなくて、先生方と町の体質に問題があるのでしょう。

外から新鮮な空気を入れないと窒息してしまいますよ。
県教育委員会、何をやっているんですか。
多くの人が相談の電話を入れているはずです。
やる気がないのだったら、辞職することをお勧めします。

貴方達が手をこまねいている間に、自殺者でも出たら市教委に任せていたとは言わさせませんよ。

せめてD中の生徒さんや先生たちが安心して学校生活を送れるよう、毅然として指導されてください。

愛媛県に「熱と光」があることを信じたい・・・

 

(掲示板『真の人権・同和教育』へのタイモさんの投稿より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


篠崎良治教頭

高橋恭敬教務主任

伊藤貴仁元3年学年主任

石川周二生徒指導主事

本宮久忠同和教育推進指導主事

村上正哲全校長

須山三陽校長