まごころ教育01

まごころ教育02

まごころ教育03

まごころ教育04

まごころ教育05

まごころ教育06

まごころ教育07

まごころ教育08

まごころ教育09

まごころ教育10

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まごころ教育01

 

1.16事件)の直後、私たちは

 

 

 

1月16日に、D中学校に警察が導入されました。その後、A教諭が事情を訊かれることはなく、学校サイドで一方的なシナリオが作られました。

翌日1月17日、市教委において、校長と次長から一方的に指導され、A教諭は体調が急速に悪化し、『不安障害』を発症しました。その後、薬を強いものに変えて1週間ごとに病院に通っています。

 

 

我々は、もともと、10年以上前からの仲間です。教育はいかにあるべきかを考え、理想と現実の相克の中で、悩みを相談しあったり、より楽しい授業を目指して共に研究したりしてきた仲間です。

今回、A教諭がうつ病を発症してからも、我々はずっとA教諭に寄り添ってきました。A教諭が回復期に入ってから、我々のような心を許せる仲間と話をすることは、A教諭にとってよかったと我々は思っています。

それでも、時に、『うつの瞬間最大風速』が危険ラインを超えると危惧されることがあり、我々は寝床の中のA教諭から電話を受けて、1時間以上も話をしたり、あるいはまた、すぐに駆け付けてずっとそばにいたりしていたこともありました。

 

1月16日、17日もそうでした。

1月17日の次長と校長からの一方的な指導によって、A教諭が大変不安定な状態に落ち込んだことを聞き、すぐ我々は駆けつけました。

ようやくA教諭が落ち着いて眠った後、我々はこのサイトを更新しました。

我々は、学校が1月17日にこのサイトの存在を知って大騒ぎをしていたことも知っていました。

そこで、「A教諭の深刻な状況を伝えれば、学校側のA教諭を責めようとする姿勢を変えてもらえるのではないか」と、我々は期待し、あえて1月17日の出来事を、その夜のうちにサイトにアップロードしたのです。

 

学校は午後9時半ごろそれを発見して大騒ぎします。市教委もその30分後にその書き込みを確認し、両者とも、「A教諭がこのサイトを作ったにちがいない」と決めつけ、我々の願いとは逆に、A教諭をますます責める姿勢を強めてしまいました。

 

そのため我々は、翌朝このサイトをいったんサーバーから削除しました。

A教諭を、落ち着いた環境においてあげることが何よりも大切だと考えたからです。

 

 

 

A教諭の話に戻ります。A教諭は生徒のことをいつも第一に考えていました。特に3年生の進路の実現に向けて、受験対策のためのプリントを、冬休みに10枚以上作り、1月と2月の計画も立てていました。

健康も徐々に回復してきて、1月には、朝の職員朝礼にも出られるようになり、夕方5時まで勤務時間いっぱい学校にいることができるようになっていました。

こうして、放課後に生徒たちと一緒に勉強をできるくらいまで体調は回復していました。

 

 

それが、再びうつ病を再発するかもしれないという危機に陥ることになったのです。A教諭は医師より、学校には「最低1週間出てはいけない」と言われました。さらに、翌週の診察日には「2月一杯休むほうがよい」と言われました。こうして、A教諭は、2月一杯病気休暇を取ることを余儀なくされることになったのです。

 

 

徐々にA教諭は回復していますが、まだ完全に体調が安定したとは言いません。1、2学期のA教諭の実践を見ればわかりますが、A教諭の授業にかける情熱は大きく、また生徒たちとの交流を大切にし、授業をすることで徐々に元気になってきました。今も、早く授業に復帰して生徒たちに会いたいというのがA教諭の願いです。

 

A教諭の復帰に際してもっとも必要なのは、

安心して居られる環境

なのです。

今、D中学校がそのための環境づくりに積極的に取り組んでいるとは思えません。

4月以来これまで、D中学校教員幹部集団は、A教諭に対して、わざわざ彼が不安定になるような行為を繰り返してきました。

 

我々は様々なルートから、大変多くの情報を入手しています。

A教諭が1月に初めて職員朝礼に出ることができたとき、C2とC4はそれを喜ぶどころか、けなす発言を陰で行っている、そういうことも我々は知っています。

今回のA教諭の「不安障害」発症の原因は、校長(D中学校幹部教師集団およびその他関係者の代表)と次長(学校との折衝における市教委代表)の、A教諭に対する対応のまずさにあることは明白です。

 

 

 

平成18年に制定された『自殺対策基本法』の話をします。

 

その第3条には、「国は前条の基本理念に則り、自殺対策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。」と《国の責務》が明記されています。

 

さらに第4条には、「地方公共団体は、基本理念に則り、自殺対策について、国と協力しつつ、当該地域の状況に応じた政策を策定し、及び実施する責務を有する。」と《地方公共団体の責務》が明記されています。

 

そして第5条、「事業主は、国および地方公共団体が実施する自殺自殺対策に協力するとともに、その雇用する労働者の心の健康の保持を図るため必要な措置を講ずるよう努めるものとする。」と《事業主の責務》が、

 

また第6条には、「国民は、自殺対策の重要性に対する関心と理解を深めるよう努めるものとする。」と《国民の責務》が明記されているのです。

 

 

 

 

学校長は、積極的にA教諭の復帰に向けての対策を講ずる責務があるのです。地方公共団体は、積極的にA教諭の復帰に向けての対策を講ずる責務があるのです

 

2月の最後の週となりました。A教諭の復帰に向けての具体的な受け入れ対策は、まだ何も学校からは、なされていません。A教諭が学校に復帰するのに向けて、A教諭の心身両面においての具体的な受け入れ対策が、早急に打ち出されることを、我々は要求します。

 

 

2月中にこれらがなされない場合は、我々は、これまで公表を控えていたさまざまな資料を公表していきます。それは、学校幹部や次長が総ぐるみでA教諭を追いつめていこうとした事実が記録されたものです。

 

 

 

 

『自殺総合対策大綱』には次のようにされています。「このように、多くの自殺は、個人の自由な意思や選択の結果ではなく、様々な悩みにより心理的に追い込まれた末の死ということができる。

 

 

今回A教諭が完全復帰できるかどうかは、A教諭個人の問題なのではありません。

それは、第2、第3のA教諭や、心身のバランスを崩す多くの{Bさん}を、今後、救っていけるのか、それとも潰してしまうのかの、分水嶺となることなのです。重大なターニングポイントであるからこそ、我々は今、声を大にして叫ぶのです。

 

 

最後にもう一度『自殺総合対策大綱』の言葉を引用します。

 

このように、心理的な悩みをひき起こす様々な要因に対する社会の適切な介入により、また、自殺に至る前のうつ病等の心身疾患に対する適切な治療により、多くの自殺は防ぐことができる

 

 

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まごころ教育02

 

 

 

この一回生起の出会い

一瞬一瞬に

信を持ち

愛を与え

我を忘れて

生きることが出来るように

この出会いに呼びかけられている声なき声を

受け止めることができるように

わたくしを支えてください。

 

力を尽くし

智慧を尽くし

心を尽くして

かかわりの場に向かえるように

わたくしを導いてください。

 

         『祈りのみち』(高橋佳子著)より

 

 

A教諭が毎日、祈っている祈りだそうです。

 

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まごころ教育03

 

 

神の(おもんばか)

 

大きな事を成し遂げるために、

力を与えてほしいと神に求めたのに、

謙虚さを学ぶようにと、

弱さを授かった。

 

より偉大なことができるようにと、

健康を求めたのに、

より良きことができるようにと、

病弱を与えられた。

 

幸せになろうとして、

富を求めたのに、

賢明であるようにと、

貧困を授かった。

 

世の人々の称賛を得ようとして、

成功を求めたのに、

得意にならないようにと、

失敗を授かった。

 

人生を楽しもうと、

たくさんの物を求めたのに、

むしろ人生を味わうようにと、

シンプルな生活を与えられた。

 

求めたものは何一つとして与えられなかったが

願いはすべて聞き届けられていた。

私はあらゆる人の中で、

最も豊かに祝福されていたのだ。

 

ニューヨークの大学病院の壁に残された、ある患者さんの詩

        

 

 

まごころ教育友の会の会員様からお寄せいただいたものです。

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まごころ教育04

 

 

現在学校はどうなっているのでしょうか・・・
更新された様子がありませんが。
管理人が逮捕されたと言うことは無いと思いますが出来るだけ早く現況を掲載してほしく思います。
時部の名を名乗らぬ非礼をお許しください。
もしものためであります。

                        一卒業生 さん

 

 

まごころ教育友の会の会員様からお寄せいただいたものです。

一卒業生 さん。ご心配くださいまして、心からお礼申し上げます。

まず、更新をこの数日間あまりしなかったことについてですが、2つ理由があります。

1つめは、A教諭の体調があまりよくないということです。私たち執行部全員が集まれる日は余りありません。それでも、個別でA教諭宅を訪れたり、電話をしたりして、常に連絡を欠かさず取り合うようにしています。

A教諭は今も毎週病院に通い、薬を替えながら様子を見ています。今週はややうつの傾向が強くなっており、心配しています。勝手に更新を進めて、後でA教諭によからぬことにならないように配慮してです。

2つめは、私たちには常に学校その他の情報が入ってきています。例えば市教委では、毎日1時間ごとに10分くらいこのサイトをチェックしているとか…、学校では相変わらずイジメのターゲットになっている先生が苦しめられている…とか。しかし、こういった情報をくわしくリアルタイムに出しても、情報ルートに危険が生じる恐れがあるのです。

学校に対して、リアルタイムに「笑い噺」と言う形で2日間連続してシグナルを送ったことがありました。そのころ、学校は『踏み絵』ならぬ『踏みサイト』職員会(このサイトを印刷して配布し教職員に意見を言わせる)をし、緊急1,2年学年集会を持って情報隠蔽工作をしようとしていたときでした。しかし、学校側は、自らを振り返ることは出来ませんでした。心ある先生も居るのですが、体制に潰されてしまうのです。

 

以上の2点から、更新を頻繁にやっても効果があまりない。それよりも、今の段階では被害を受ける人が出てくる心配があると感じられるので、更新頻度を落としたわけです。

 

あなたがご心配してくださっている、管理人の逮捕というような事態は起こっておりません。学校側がそのように持っていこうとしている動きはあります。しかし、実際にもしもそんなことが起こるようなら、これは、『言論の自由』にたいする弾圧という新たな大事件になります。学校側は、「このサイトに書かれているようなことはまったくなかった。だから誹謗中傷だ」と責めたいようですが、このサイトには事実しか書いていません。事実である事を裏付ける、まだ公表していない証拠もあります。

 

大切な事は、学校側にいじめられて体調を崩したり排除されたりした教師や生徒が居るという事実です。その教師や生徒の救済が第1に必要な事でしょう。

 

ことは簡単なのです。その事実を学校側が認め、公的に謝罪することです。そうすれば、一連のゴタゴタは収束に向かっていくでしょう。

 

しかし、長年にわたって作り上げてきた体制というものは、(どこの国家でも同じですが)なかなか変えがたいようです。

 

D中学校のみならずD町には長年にわたって、言論統制が掛けられてきました。戦時中の日本のようなものです。その時の錦の御旗は『愛国心』。

これに反対する事を言えば逮捕され、拷問を受けました。

D町の言論統制の御旗は『   』。

 

誰も恐ろしくて、反論を述べられないのですね。

 

しかし、聡明に、言葉を選びながら、「声」を上げていきましょう。

東ベルリンの壁を崩壊させたものは、東ドイツ市民の声だったのです。

 

当方では、情報管理は徹底しております。お寄せいただいた声は暗号処理をかけたあと、ハードディスクからは即削除します。

どうぞ、安心して、また貴重な「声」をお寄せください。

 

 

 

 

 

 

 

今日先生が違うって行ってましたどうなんですか?

                    H、kkkkkkk さん

 

まごころ教育友の会の会員様からお寄せいただいたものです。

ずっと以前に寄せられたあなたからの「声」に、どうお返事をしたら良いのか、執行部一同何度も意見を交換しました。1回目の1,2年生合同学年集会があったあとくださったものだったと思います。

私たちは、質問者に心をまず寄り添わせようとします。

質問が一文なので、まずここが難しいのでした。

あなたがどのようなお心持ちで、この「声」をお寄せくださったのか?

 

そして、私たちが最も迷ったところは、D中学校にはいい先生もたくさんいらっしゃいます。そういう方とは、いい信頼関係を築いて欲しい。ということなのです。土台になるのは、「信」と「愛」です。これは、教師と生徒がともに育んでいくものです。それを大切にして欲しい。

 

ただ、このサイトに書いてあることもまた、悲しいかな、事実なのです。

 

もっとも大切にしたいものは何なのか?それをご自分自身に問いかけてみてください。その上で、学校生活で、一つ一つのできごとを、ご自分で判断してみてください。あなたにはそれが出来るのではないかと思います。

 

お返事が遅くなってごめんなさいね。

 

 

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まごころ教育05

 

 

A先生へ。

体調の方はどうですか? 寒いし、余計に体温調節が困難かと思います…。

最近先生が居ないので寂しいです…。

あたしらは、3/17にこの土居中学校を卒業します。3月にはいるともう10日位しか、学校に行けません。なので、早く先生の元気な顔を見たいと思うので仕事復帰してくださいね?

私も3歳のころから『○○○○』という病気で過去10回以上は入院しています。なので、病気はちがいますが、先生の苦しさはよく分かります…。仕事をしながら体調管理など、本当にしんどいと思います。先生に何かあれば土居中生が先生守るけん!!(笑)先生、安心して学校に来てねっ!? あたしもこれから先、病気と長く付き合うと思います。だからA先生もうつ病に負けないように一緒に病気に立ち向かい、頑張りましょう!!

 

 

 

A教諭の教え子からのお手紙です。

 

 

Bさん、と呼ばせてくださいね。

Bさん。A先生への手紙をここに載せることを快く了承してくださって本当にありがとうございました。

 

A先生は、今も、薬が変わって、体調がよくありません。というか、それが治療だということで、耐えるしかないのです。

 

そんなA先生が、私たちがお見舞いに行った時、いつも枕元においているものがありました。Sesame Street デザインの封筒でした。

あるとき、A先生にそれは何かと聞くと、A先生は、「教え子がくれた手紙で、苦しい時に読むと心が救われるんだ」と言いました。2月にA先生に渡されたのですね。A先生は、病床で、何度も何度もあなたのお手紙を読んだそうです。また、涙を流したそうです。

 

私も、つい最近見せてもらいました。そして、涙が出ました。

他人(ひと)の苦しみ、我が苦しみ

これは、菩薩の境地です。

そのように他人(ひと)の苦しみを自分の苦しみとして感じられる人が居るということだけで、救われることがあるのです。

 

あなたも、ずっと病気で苦しんできたんですね。そして、今も苦しんでいるんですね。

そんなあなたが、笑顔でA先生にこのお手紙を渡してくださった時のことを思い出して、またA先生は涙があふれるそうです。

 

今、全国でA先生と同じような病で苦しんでいる人がいます。そういう人にも読んでほしい、と思って、あえて公開する事をおねがいしたしだいです。

 

A先生は、117日の『不安障害』発症以来、復帰までにかなり時間がかかるらしいことを医師から言われたそうです。いつ仕事に復帰できるのか、今は見通しが立っていません。

そういうわけで、卒業式にも出られません。

 

せめて、学校側に、もう少し温かい配慮があったならば、少しだけ行ってみんなの顔を見ることくらいはできたでしょうに…。

 

でも、A先生はあなたとの出会いを、心から神様に感謝しています。あなたの温かいまごころに出会えて、A先生は「しんどいけれども幸せだ」と言っていました。

 

D中学校が、このような『まごころの華』で一杯になることを願ってやみません。さらに、全国でうつ病に苦しむ人々にも、『まごころの華』が届きますように。

 

 

 

 

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まごころ教育06

 

 

先生 もぅ学校で会うことはできないのですね。とても寂しいです。私も今薬漬けの日々を送っています。本当に薬が効いているのかと思う程しんどい日々です。
私ももぅすぐ卒業です。あんな学校を卒業しても誇りにも何にもならないけど、先生と会えなくなることだけが心残りです。
でも 私たち生徒以上に先生がつらいですよね。病気もしんどいだろうし、私たちと会えなくなるのもつらいだろうし。そう思うと涙が出てきます。私もつらいけど先生はそれ以上につらいんだろうなって。ここまで先生を追い詰めたD中組織を恨んでしまうんです。
でもね、私は先生はすごく追い詰められてとても苦しい思いをしたけどその分人間として成長できたんじゃないのかなって思うんです。

人の苦しみや悲しみを理解するには
それ以上の苦しみや悲しみを
経験しなければならない
悲しみに閉ざされた人を
慰めることができるのは
それ以上の悲しみを
経験した者のみである

                          ピコレット

 

A教諭の教え子から寄せられた「声」です。

 

 

 「ありがとう」と言って、A先生は涙を流されました。

 

少し説明させてくださいね。昨日お見舞いに行ったとき、A先生は「一日中だるいんじゃ。たまらんのじゃ」と言って横になっておいででした。奥様もおられて、少し話をしている時、ちょうどあなたの話になったのですよ。あなたが、無事入試にいけたのだろうか、とA先生と奥様は心配していました。

そんなことがありましたので、あなたから「声」が寄せられているのを見て、私はまたすぐにA先生のところへ、印刷したのを持っていきました。

 

「きっと、彼女も、自分と同じように苦しんでいる。薬の量が増えたと言っていたから、自分以上にしんどいかもしれない。そんな中で、これを打ってくれたんだなあ」と言って、あなたのお手紙を、何度も何度も読み返されていましたよ。

 

あなたとA先生との出会いが深くなったのは去年の秋以降だったそうですね。「あなたが病気で苦しんでいる、どうしなければいけないか自分には分かる、でも、…」あのころA先生は、あなたのことを、自分のこと以上に心配していました。ところが、苦しんでいるあなたを見て、「早く何とかしなければ!」と思うA先生の切実感と、学校側の対応との間には大きな温度差がありました。そんな中で、あなたのことを見て、同じように切実感を持っている先生が居てくれたのでしたね。養護の先生でした。A先生は自分の体験を養護の先生に話し、養護の先生はすぐに手を打ってくださいましたね。

 

そのおかげで、あなたが元気を取り戻しつつあったころ、幹部連中は圧力を掛け始めたのでした。それは組織的に巧妙に行われました。そして、ふたたびあなたの体調は悪化していったのでしたね。

 

>でも 私たち生徒以上に先生がつらいですよね。病気もしんどいだろうし、私たちと会えなくなるのもつらいだろうし。そう思うと涙が出てきます。私もつらいけど先生はそれ以上につらいんだろうなって

 

と、言うところを読んでA先生は泣いていましたよ。

A先生は言いました。

「ピコレットさんの方が自分より苦しいはずじゃ。なのに、こんな風に心を配ってくれて…」と。

 

でも、あなたがおっしゃるとおりです。

あなたが、あの苦しみを体験された(今も毎日苦しんでおられる)からこそ、あなたのお言葉が、今、A先生の心に響くんですね。

 

「本当にそのとおりじゃなぁ」と最後にA先生は笑みをこぼされました。「この苦しみがなかったら、結局平気で人を傷つける教師で終わっとったじゃろうなぁ。『この一回生起の出会い 一瞬一瞬に 信を持ち 愛を与え 我を忘れて 生きることが出来るように』ということを何年も前からずっとめざしとったけど、出来んかった。でも、今年、D中では、そういう出会いを多くいただいた。この病気のおかげかな。」と。

 

不思議ですね。「だるい、しんどい」と言っていたA先生の表情は、すごく穏やかになっていました。

 

あなたとの出会いも、神様からの贈り物だったのでしょうね。

 

あなたも、A先生も、まだまだ闘病の苦しさは続くだろうと思います。

でも、今日、こうしてあなたから『まごころの華』を届けていただいたことを、A先生とともに感謝いたします。

そして、この光が同じように苦しむすべての人々の上にも降り注がれますように。

 

 

 

 

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まごころ教育07

 

投稿してくださっている

皆さまへ

 

勇気ある投稿に感謝いたします。

 

ありがとうございます。

まず、このサイトは、ある意味で特殊なサイトです。

まごころ教育友の会が運営しておりますが、友の会そのものの実体については一切お知らせいたしておりません。

従いまして、どこの誰かも分からない当サイトへ投稿するということ自体、敷居の高さがあるでしょうし、ある種のリスクもお感じになられることと存じます。

 

その上でなお、勇気を持って投稿してくださいましたことに、まごころ教育友の会執行部員全員、深く感謝いたします。

 

私達の願いは、

     すべての人間がその尊厳を尊ばれる

ということに尽きます。

D中学校では、目をつけられた生徒、教師が、意図的に潰されるというひどい凶行が繰り返されています。

私達は、この凶行を止め、すべての生徒と教職員が安心して居ることの出来る学校にしてほしいと、訴えてきました。

これからも訴えてまいります。

 

 

保護者A様。あなたのまごころあふれる投稿を我々一同、しっかりと受け止めさせていただきました。D中学校とD地域は何十年もの年月をかけてこの間違った状態を作ってきてしまったのだと思われます。一人やふたりが立ち上がったとしても、焼け石に水で跡形もなく消されてしまうでしょう。そこのところは、目をつけられぬように、うまくやってまいりましょう。決して恥ずべきことではありません。それどころか、聡明なことです。

これまで、「おかしい」、「まちがっている」と誰もが思いながらも、口には出せなかったのです。彼らの理論武装に勝る理論武装と智慧が必要です。慎重にやっていく必要があります。

それを進めていく中で、あなたの様な声が自由に上がるようになることが、一つのターニングポイントであろうかと、我々は考えております。

もし、よろしかったら、またいつでもご投稿ください。そして、例えば今回と同じ御文章でもかまいません。「サイトへの掲載希望の有無」のチェックを「任意」または「必要」(もちろん「至急」でもOK)にしてくだされば、サイトに公開させていただきます。あなたのおっしゃって下さったことは、大勢のD町の住民が思っていることだと思います。

 

 

D中生の保護者様。お手数をおかけさせてしまい、大変申し訳ありません。そして、誠実な、まごころあふれるメッセージをどうもありがとうございました。あなたが心配して知らせてくださったことは、ありがたく受け止めさせていただきました。確かに我々にはさまざまな情報が入ってきます。それを、パズルを解くように推測するのも我々の大切な仕事です。

でも、これらの作業をする中で、常に強く思うことは、本質は何なのか?ということです。学校側はA教諭の差別事件に対しても些細な部分をとって、それがいかにも大きなことであるかのように「ちがう、ちがう」と騒いだことがありました。しかし、それは枝葉末節的なことです。本質は学校がA教諭に対して差別をしていた、ということです。

今回のD中生さんの投稿の中で本質的な事は、暴力と脅しのみで指導がおこなわれたということです。同じことが、他にも何件も起こっています。そうして、学校から排除された生徒や教師がいます。学校は、それに対して一切責任をとろうとはしません。それどころか、不登校になった本人が悪いと、ポンと捨て去る有様です。

D中生さんの投稿から一つの波紋が広がり、それまで隠されていた問題が姿を現す。このように、無駄な事は一つもありません。

「人生に無駄な事は一切ないんだ。うつ病になってそれが分かった」と病床のA教諭は今も言っています。何か大切にしたいものを心に思って行動を起すとすれば、その結果がどうであったとしても、必ず道は開けていく、それが彼の信念です。

「本当に大切ないのちは一つ。」

D中生さんが今回の投稿のことで心を痛める必要はない、それは大切な一石であったことを、お伝えしてあげてください。

 

 

人を大切にする真っ直ぐな心を失わず、すべての人がその尊厳を尊ばれ、受け入れられ、安心してものを言い、安心して過ごすことのできる学校、地域が生まれますように。

心より、学校、地域の再生を祈念しつつ、お礼の言葉に変えさせていただきます。

 

(まごころ教育友の会執行部)

 

 

 

 

 

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まごころ教育08

 

 

 

3月初めにいただいた友の会会員様からのメッセージ

 

月曜日にうわさについてのアンケート(記名)が実施されました。『いつ』『どこで』『だれに(何に)』『内容』『感想』の欄がありました。

今日は、帰り際に1・2年生の集会がありました。
校長先生が『インターネットのサイトが私たちを混乱させようとしている。』といっていました。
学年主任は、『いじめっていうのは、どんなことをどういう風に捕らえて、いじめっていうのかな?』というようなことを言っていました。
生徒指導は『信じれんなら、おれの姿を見てくれ!!』と熱く怒鳴って(?)いました。
『私はいじめられてません!!』と宣言しに出てきた先生がいて、驚きました。
                  (こちら→

校長先生は『県警に告訴してきた。』と言っていました。


『もしこのサイトが警察につぶされれば、4月になってA教諭は違う学校に移動させられ、校長はめでたく定年退職。学校は今まで通りあいつらの支配下におかれ、見せかけだけの同和教育と言論統制が続く。これでは同和教育からみんなが離れていく。差別は無くならない。』と、親が泣いていました。

 

怒鳴られるのは、嫌です。
A教諭は3月いっぱい休まれるそうですね。僕たちもサバンナのような学校で生き抜いていきます。

 

 

 

あのころ、学校では、言論統制の嵐が吹き荒れていたのですね。

 

『うわさについてのアンケート(記名)』は、職員会で、「各学年で作れ」と指令が降りましたが、結局企画委員会でC3が作ったようです。これをもとにして、学校は、名前の上がった生徒一人ひとりに、尋問を始めました。

 

同時に、学年全体に対しては、上記のような集会を持って、言論統制を図ったわけです。

 

あれから、私たちも、公開質問状を出したりして、学校に「目を覚まして欲しい」と訴えてまいりましたが、とうとう学校は最後まで《開き直り》の姿勢を貫いてしまいました。

 

今日は終業式でした。

結局、学校は、1、2年生に対しても、ウソを貫き通しました。

 

 

 

『学校は今まで通りあいつらの支配下におかれ、見せかけだけの同和教育と言論統制が続く。これでは同和教育からみんなが離れていく。差別は無くならない。』と、親が泣いていました。

 

この言葉をD中学校の、「黒」と「グレー」の教師一人ひとりに、その良心において受け止めて欲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

『見せかけだけの同和教育と言論統制が続く。これでは同和教育からみんなが離れていく。差別は無くならない。』と、親が泣いていました。

 

 

D中学校の、「黒」と「グレー」の教師のみなさん。

この心の底からの叫びに、どう応えるのですか??

 

 

 

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まごころ教育09

 

 

 

土居中の同和教育について意見を申し上げれば、自分は既に同和教育自体が大嫌いです。

 

先生方もご存知かもしれませんが、土居中学校の方針に異なったり少しでも違う意見は「発表してはならない」ものなのです。

 

掲示板において「卒業生の一人」というのは自分の事です。

 

あの日の研究授業、あの時程同和教育というものを嫌いになったことはありません。

 

自分から見れば土居中の「同和教育」というものは、昔の共産主義国家の強引なプロパガンダや、彼の国のマスゲーム等のような茶番にも過ぎないのです。

 

若しかするとそのときの三年をご存知の先生ならば自分のことをご存知かもしれません。

 

いっそ同和教育というものを無くした方がよい。自分はそう思います。地元の高校に入学しましたにが、高校に入ってから「同和教育」と言うものをほとんど聞きません。他の中学校から見れば同和教育ならぬ「同和脅育」か「同和狂育」としか見えないでしょう。
 

自分たちと異なる意見は粛清するか排除する。決して認めない。
 このような性格こそが土居中の問題の根源ではないでしょうか?

 

                           一卒業生

 

まごころ教育友の会会員様からの声です。

 

 

一卒業生様。友の会会員としてのこのサイトへの投稿に心から感謝いたします。私たちの理念は、「人間の尊厳」すなわち、「すべての人がその尊厳を重んじられること」です。

 

あなたのご文章は、昨年度までの土居中の先生のほとんどが読んだら、即没になったでしょうね。また、心ある先生が読んだら、ひそかに隠しておかなければならなかったでしょう。あなたが書かれているとおり、土居中学校の方針に少しでも異なっていれば、弾圧されるからです。

その事実そのものが、「すべての人の尊厳が重んじられてない」ということに他ありません。

直接、意見を言えば、徹底的に潰されます。それは、生徒だろうが、保護者だろうが、教職員であろうが、同じです。私たちが『考察』に書いたとおりです。

 

「すべての人がその尊厳を重んじられる」ということは、今のあなたのお気持ちがまず、しっかりと受け止めてもらえなければならないということだと、私たちは考えます。

あなたは、中学校3年間の間に、そのような場がなかったのですね。

そして、今、掲示板に、しっかりとした書き込みをなさっていると思います。その書き込みを見て、匿名であるし、お会いしたこともないのだけれども、あなたが大変しっかりした方だという印象を持ちます。

ただ、掲示板は、その特性上しかたのないことですが、「荒らし」が入って、まともには議論が流れていきません。(『土居中現役卒業生集まりんしゃい』は、まだしっかりしている方ですけれどもね。)

 

したがって、あなたのような方のお考えを自由に出せる場、そして、それをしっかりと受け止めてもらえる場こそが必要なのだと思います。

匿名でいいのです。本名は必要ありません。

基本理念に賛同しているかどうか。それだけが、必要です。

 

その意味で、あなたがここに投稿してくださったこと、すなわち、私たちの基本理念に賛同してくださったことをありがたく思います。

 

 

前置きが長くなりました。

私たちは、あなたのお言葉、

>あの日の研究授業、あの時程同和教育というものを嫌いになったことはありません。

このお言葉に、深く気持ちを寄せます。

それほどにも、あなたが傷ついた研究授業…。一体何に、それほどまでに傷つけられたのか? 

 

それは、直接あなたに対して尋ねるべきことではありません。

土居中だろうと、どこの学校であろうと、教師一人ひとりが、じっと思いを寄せて考えてみる必要がある、大切な大切な事です。

 

わたくしも、1ヶ月ほとんど休みもせずに勉強して、同和問題学習の授業をしたことがあります。それでも、思ったように出来なくて、落ち込む。また、再起する。そして、「よし。今日の授業は良かった!」と思った。

ところが、その3年後に、同僚が撮ってくれていた3年前のよかったはずの授業のVTRを見てみて、愕然とします。生徒の発言を受け止めてない、私の独りよがりで強引な授業。あの時は、自分で「良かった」と思ったはずなのに。

 

《授業》というもののむつかしさ。ましてや、「人権」を扱う授業は、誰にでもすぐに出来るようなものではありません。

 

目の前に一人、苦しんでいる人が居る。そのとき、どれだけ、その人の苦しみを共感できるのか? 根本命題です。人の苦しみを共感できる人のみが、本当に「語る」ことができるのではないでしょうか? でなければ、ただのきれいごとにしか過ぎず、ますます苦しめるだけだからです。

 

 

すると、「人権」についての授業をする時は、まず教師自身が、人の苦しみを共感できるだけの、感性を養わなければならない。いや。授業のときだけではない。すべての時に、当たり前に、相手のことをまず考える。

教師には、まずこれが必要なのではないでしょうか。

 

教師である前に、一人の人間であれ。

 

人間として、「ありがとう」、「ごめんね」などが、普通に言えているか?

教師が、一人の人間として、一人ひとりの生徒に対して尊厳の気持ちを抱いているか?

 

 

あなたが傷ついたのは、根本的に、そこのところに原因があるように思えてなりません。人の苦しみを感じる事を出来ないし、しようともしない人間が、教壇に立って「人権」について語るならば、すべてきれいごとのウソになります。

鋭い感性を持っていれば、そのウソを見抜いてしまうでしょう。そして、感性が鋭いだけに、人よりも苦しまなければならなくなるのです。

 

あなたは、

>いっそ同和教育というものを無くした方がよい。

とおっしゃっていますね。

 

でも、私には、あなたのような人こそが、

「本当の同和教育をしたい!!」

と言える方なのではないかと思います。

 

 

 

他人(ひと)の苦しみ、我が苦しみ、

他人(ひと)の悲しみ、我が悲しみ。

 

 

本当にこのように感じられる人が、土居町に一人生まれ出れば、土居町に一灯が燈ります。その一灯によって、何人もの人が救われるでしょう。

 

そのためには、苦しみを味わう、あるいは挫折を味わうことが必要です。

その体験があって初めて他人(ひと)の苦しみがわかるのです。

 

これまで、土居中でウマく弾圧の目をかいくぐって生き抜いてきた人も多いでしょう。そのこと自体は、卑怯な事でも卑劣な事でもありません。それも大切な智慧です。自分を守りましょう。

 

でも、一卒業生さんのように、

>あの日の研究授業、あの時程同和教育というものを嫌いになったことはありません。

というほどの体験を余儀なくされた人も大勢居ることでしょう。それは、大きな「苦しみ」ですよね。

 だからこそ、あなたが、一灯を燈す人になれるのだと思います。

 

 

 

 

今、「排除」され、闘病生活の中で先が見えず、絶望している人がいます。

今、「粛清」し「排除」されてしまうのではないかと不安を抱えている人がいます。

 

その人たちを救うためにどうしたらいいのか、私たちも暗中模索しています。

 

このサイトで、この3ヶ月間行ってきたことも、試行錯誤のひとつです。声を大にして、私たちは叫んできました。残念ながら、2007年度の土居中からは回答をいただけませんでした。

 

 

>自分たちと異なる意見は粛清するか排除する。決して認めない。
 >このような性格こそが土居中の問題の根源ではないでしょうか?

 

残念ながら、2007年度までは、まさに、そのとおりでした。

 

 

 

しかし、あと数日で2007年度は終わります。新しい年度に変わります。

 

 

土居中は、幹部連中は同じであるけれど、校長先生が変わります。

そこに期待をして、新しい土居中の再生を見守りたいと思います。

 

>自分から見れば土居中の「同和教育」というものは、昔の共産主義国家の強引なプロパガンダや、彼の国のマスゲーム等のような茶番にも過ぎないのです。

という強烈な評価を、誠実に受け止めて、土居中が自己変革への第一歩を踏み出すことを切に願います。

 

 

 

 

 

 

一卒業生さん。あなたが、ちょうどこのタイミングでお声を寄せてくださったことに不思議なご縁を感じます。多分、「偶然」ではなく「必然」だったのでしょう。

 

ちょうど、3月一杯でサイトを一新する予定だったのです。弾みがつきました。2007年度の諸問題は、遅くとも、3月一杯でいったんサイトからは消す予定です(考察は残します)。

 

(けれども、相変わらず、幹部連中が更衣室をランチルームにして悪口を言い合い、気に入らない教職員や生徒を排除し続けるようなら、厳しく糾弾していくでしょう。)

 

 

 

 

 

一卒業生さんのように、傷つき、苦しんだ人の声が、清涼な風となって土居中を吹きぬけることを、期したいと思います。

 

                       08年3月27日

 

 

 

 

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まごころ教育10

 

 

454  名無しさん

 

 今、そちらのサイトのあなたの書き込みを拝見いたしました。

当サイトを熱心にお読みくださいまして、本当にありがとうございます。

実は、3月一杯よりも早く、明日(28日)、一新する予定にしております。

その理由は2つあります。

 

 

1つめは、さまざまな関係諸機関の方々が、このサイトを見て、当方の理念や意図を好意的に捉えてくださったことです。私たちは、土居中を非難することが目的なのではなく、生徒と教職員のいのち(心)を守りたい!ということが当初の目的でした。残念ながら、2007年度の土居中教職員集団には結局回答をいただけなかったのですが、さまざまな方が、土居中のこのような状況を認識してくださるに至りました。感謝したいと思います。

 

そこで、いろいろな方面から土居中を見守るという環境ができた今、2008年度の新しい土居中教職員集団に、もう一度、訴えたいのです。お願いしたいのです。すべての生徒と教職員のいのち(心)を守ってくれ!と。すべての人間の尊厳を大切にしてくれと。

 

学校は、4月から新体制で動き始めます。折角、校長先生が新しい方に変わって、教職員集団も新しく編成されて動き始める時に、このサイトが足を引っ張ってはいけないと思うのです。

 

難しいかもしれませんが、人間は変わることが出来る、それを信じたいのです。

これまでの土居中学校は、まさにファシズム並の異常な空間になっていました。それを、何とかして光転させて欲しいのです。

 

幹部がまず、「人の悪口を言うのをやめる」というところからはじめて、謝るところは謝るのです。そして、生徒に任せるところは生徒に任せるように、一つ一つの計画を、新教職員全員の目で見直していくのです。

 

これまでの、「馴れ合い」と「見て見ぬ振り」と「諦め」とを、土居中の新教職員集団が脱皮できるように、地域、保護者、委員会、他関係諸機関が、本当に《まごころ》をもって連携していけば、光転に向けての方向転換は出来るのではないかと思うのです。

 

そのために、前年度の《失敗》に、足をとられてはいけない、と思います。

自分達の《失敗》を忘れてはいけない。でも、新しく歩み出さなければ、光転はない。

 

そのようなわけで、「年度末には、A教諭のこと、Bさんのこと、保護者会のことなどはすべて削除するのがよい」と、まごころ教育友の会執行部では、前から決めていたのです。(《失敗》を忘れてはいけないので、『考察』は残します。また、土居中が(まず幹部が)変わろうとする気配がない、という場合には、また元に戻すようになるかもしれません。)

 

 

 

 

 

 

理由の2つめは、今も、A教諭やBさんは苦しんでいるということです。A教諭の「不安障害」の症状は軽くありません。復帰の目処は今も立ってないばかりか、人にも会えません。私たちでさえ、3月18日以降会ってないのです。じっと寝てエネルギーが回復するのを待つしかないそうです。考えてみれば、A教諭は自分で「うつ病宣言」をした人だから大丈夫、と思って、A教諭が受けた差別のことを大体書いてきましたが、差別を受けている側にとってはこれはとてもしんどいことです。今は、A教諭もBさんも、静かにして差し上げることが、必要だと思うのです。

 

 

 

 

以上のような理由から、明日(3月28日)このサイトは一新(と申しますか、簡略化です)します。

折角このサイトに訪れてくださいましたのに、本当に申し訳ありません。

 

      

 

 

 

友の会の理念に賛同される方で、しかも「土居中のすべての生徒および教職員の尊厳が大切にされるために、どうしても削除された情報が必要である」という場合は、友の会のメールフォームからお問い合わせください。(その場合、すべての項目に御記入をお願いいたします。)

 

 

 

 

 

 

 

 

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まごころ教育10

 

 


いつも読ませてもらって
勇気をもらっています。
どうしてサイトの重要部分を
削除したのか教えてください。

真実一路さんから

 

 

 

 

今、出張先の東京から打っています。執行部から転送してもらいました。

またこれを転送して、UPしてもらいます。

 

今は、簡単なお返事しか出来ませんことをお許しください。

 

真実一路さん。あなたが、まごころ教育友の会会員さんとして、このメッセージをくださったことを、とてもうれしく、ありがたく思っています。

 

なぜなら、わたしたちの基本理念である「一人ひとりの尊厳を大切にする」ということを、あなたがしっかりと捉えてくださっていると、この4行から感じたからです。

 

そうです。わたしたち執行部は、約1週間前に、「重要部分」を削除いたしました。まず、あなたが、削除された部分を「重要部分」であると認識してくださっていることを大変うれしく思いました。

 

削除した理由については、『まごころ教育10』に書いたとおりなのです。

が、真実一路さんのこの4行のメッセージから、「それでいいのか!?」というお声が響いてくるように感じられます。

 

うつ病差別事件》は、解決されないまま、2007年度を終えました。

そのままでいいのか!?と。

年度が終わったからといって、削除されて、過去のものとして終わりにされていいのか?と。

その程度の扱いでいいのか!?

 

 

いいはずがありません。

 

 

《うつ病差別事件》は、過去の「終わってしまったこと」ではなく、また「A教諭個人のこと」でもありません。

 

これまで何年間も、そして、今後これからも不当に苦しめられる恐れのあるすべての人の切実な問題であると同時に、それを許してしまう社会の問題でもあります

 

 

 

 

私たちは、D中学校にいったんバトンを渡しました。それが、今回の『削除』の意味です。

 

 

 

2007年度に学校側が「ウソ」として終わらせた諸事件を、

「ウソをついていて申し訳ありませんでした。初心に帰ってやり直すので、生徒、保護者、地域の皆さん、どうかご協力ください」

と正しく修正することなくしては、新しい始まりは、ありえません。

 

 

早ければ、4月8日始業式の日に、または、入学式の日に、あるいは、4月のPTA総会で、旧幹部連中が全員前に出て頭を下げる

 

失敗は「失敗であった」と、自分の意志で自ら頭を下げるのです。

 

それが、

 

教師である前に一人の人間として生きる

 

ということではないでしょうか。

そのような生き方を見せることが、教育の原点ではないでしょうか?

 

自分達で、それを行うことによって、D中学校の新たなスタートを踏み打して欲しい。

 

私たちは、彼らがその行いを選択することが、絶対に必要であると考えております。

 

 

 

 

 

 

D中学校では、「自分を語ろう」を出発点として、その年度の同和教育がスタートします。

 

昨年度、「自分はうつ病である」と《自分を語った》A教諭を生徒の皆さんは温かく受け入れました。しかし、教職員幹部連中は、それに対して猛反撃してイジメを始めたのでした。A教諭をイジメ抜いて排除して、2007年度は終わっています。A教諭にとっては、1月16日で時間は止まったままになっているのです。Bさんたちにとっても、排除されたその時から、時間は止まっているのです。

 

この重みを、D中学校旧幹部は、しっかりと受け止めなければなりません。

2007年度、退職していく旧校長に、あくまでもウソをつきとおさせて終わらせました。(旧M校長の責任は重たいです。教育界には、今後天下りしてもらっては困ります。)

 

旧校長を最後までそのように操った旧幹部連中は、一人ひとり、ステージに上がって、「自分の過ち」について語ること。

 

それが、D中学校が、2008年度新しく同和教育をスタートさせるためには、絶対に必要な事なのです。

 

 

 

 

 

そういうわけで、重要部分の削除については、D中学校新教職員(と旧校長および旧次長)にそのカギを渡した状態である、ということなのです。

 

大変重たいカギです。

 

そのカギを使って、新しい扉を開くのか、それとも、うわべだけ修正したように見せかけて、同じ事を繰り返すのか。

 

そのどちらを選択するのかは、彼らの自由意志にゆだねられています。

 

 

 

 

 

 

 

学校というのは閉鎖的なところです。

 

彼らが、今述べたような生き方の一歩を歩みだすことが出来るのかどうか、それは、私たちみんなが見守っていかなければなりません。

 

市教委には、C2と旧次長との癒着が切れた今、断固とした姿勢で『指導』をしていって欲しい。

 

地域、保護者の方々には、D中が新しい一歩を踏み出すことが出来るかどうかを見守って欲しい。

 

新2,3年生の生徒の皆さんにも、そこの部分を見守っていて欲しい。

 

 

 

 

D中が、その修正に心を尽くすことなく、例年のように2008年度をはじめるなら、これまでと同じように、犠牲者が出るでしょう。

 

D中が、自分達の過去の非を真摯に認め、謝罪し、修正を誓うなら、新しい未来が拓けていくでしょう。

 

 

 

 

 

新しい出発の日は、いよいよ明日。

 

 

 

(実際には、もう新教職員で職員会がもたれていますから、すでにスタートはされたわけです。この時点で、もしも、タイタニックのような航海を始めているとすれば、乗組員の皆さんは、一刻も早く声を上げてください。)

 

 

 

 

                  

 

 

 

 

削除された「重要部分は、必要があると判断された場合には、復活します。

 

 

 

今も時間が止まったままになっているA教諭やBさんの、時間がふたたび動き出すこと。そのための「スペシャル・ケア」が必要です。

 

D中学校は、あの一連の事件を「終わってしまったこと」としてはいけません。

 

ウソで塗り固めてしまった一連の行為を、自分達でウソを引き剥がし、白日の下にさらして、天に問わなければなりません。「自分達のやってきた《凶行》は、これで隠すことなく、すべて明るみに出せたでしょうか?」と。

 

そうして、天が「それでよい」と答えてくださった時に、初めて、A教諭にも、Bさんにも、そしてこれまで傷つけられてきた多くの人たちにも、癒しが訪れるのです。これが、「スペシャル・ケア」です。

 

 

 

 

この「スペシャル・ケア」がきちんとできることが、D中の本当の新しい出発を意味します。

 

D中学校が、それを自分達でできないのなら、誰かが変わってやらなければなりません。でなければ、《凶行》は繰り返されるからです。

 

 

 

 

 

一人ひとり皆がその尊厳を大切にされて、安心して語り、笑い会える学校、そして地域が、実現されることを願ってやみません。

 

 

                             08年4月7日加筆

 

 

 

 

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