いつも読ませてもらって
勇気をもらっています。
どうしてサイトの重要部分を
削除したのか教えてください。

真実一路さんから

 

 

 

 

今、出張先の東京から打っています。執行部から転送してもらいました。

またこれを転送して、UPしてもらいます。

 

今は、簡単なお返事しか出来ませんことをお許しください。

 

真実一路さん。あなたが、まごころ教育友の会会員さんとして、このメッセージをくださったことを、とてもうれしく、ありがたく思っています。

 

なぜなら、わたしたちの基本理念である「一人ひとりの尊厳を大切にする」ということを、あなたがしっかりと捉えてくださっていると、この4行から感じたからです。

 

そうです。わたしたち執行部は、約1週間前に、「重要部分」を削除いたしました。まず、あなたが、削除された部分を「重要部分」であると認識してくださっていることを大変うれしく思いました。

 

削除した理由については、『まごころ教育10』に書いたとおりなのです。

が、真実一路さんのこの4行のメッセージから、「それでいいのか!?」というお声が響いてくるように感じられます。

 

うつ病差別事件》は、解決されないまま、2007年度を終えました。

そのままでいいのか!?と。

年度が終わったからといって、削除されて、過去のものとして終わりにされていいのか?と。

その程度の扱いでいいのか!?

 

 

いいはずがありません。

 

 

《うつ病差別事件》は、過去の「終わってしまったこと」ではなく、また「A教諭個人のこと」でもありません。

 

これまで何年間も、そして、今後これからも不当に苦しめられる恐れのあるすべての人の切実な問題であると同時に、それを許してしまう社会の問題でもあります

 

 

 

 

私たちは、D中学校にいったんバトンを渡しました。それが、今回の『削除』の意味です。

 

 

 

2007年度に学校側が「ウソ」として終わらせた諸事件を、

「ウソをついていて申し訳ありませんでした。初心に帰ってやり直すので、生徒、保護者、地域の皆さん、どうかご協力ください」

と正しく修正することなくしては、新しい始まりは、ありえません。

 

 

早ければ、4月8日始業式の日に、または、入学式の日に、あるいは、4月のPTA総会で、旧幹部連中が全員前に出て頭を下げる

 

失敗は「失敗であった」と、自分の意志で自ら頭を下げるのです。

 

それが、

 

教師である前に一人の人間として生きる

 

ということではないでしょうか。

そのような生き方を見せることが、教育の原点ではないでしょうか?

 

自分達で、それを行うことによって、D中学校の新たなスタートを踏み打して欲しい。

 

私たちは、彼らがその行いを選択することが、絶対に必要であると考えております。

 

 

 

 

 

 

D中学校では、「自分を語ろう」を出発点として、その年度の同和教育がスタートします。

 

昨年度、「自分はうつ病である」と《自分を語った》A教諭を生徒の皆さんは温かく受け入れました。しかし、教職員幹部連中は、それに対して猛反撃してイジメを始めたのでした。A教諭をイジメ抜いて排除して、2007年度は終わっています。A教諭にとっては、1月16日で時間は止まったままになっているのです。Bさんたちにとっても、排除されたその時から、時間は止まっているのです。

 

この重みを、D中学校旧幹部は、しっかりと受け止めなければなりません。

2007年度、退職していく旧校長に、あくまでもウソをつきとおさせて終わらせました。(旧M校長の責任は重たいです。教育界には、今後天下りしてもらっては困ります。)

 

旧校長を最後までそのように操った旧幹部連中は、一人ひとり、ステージに上がって、「自分の過ち」について語ること。

 

それが、D中学校が、2008年度新しく同和教育をスタートさせるためには、絶対に必要な事なのです。

 

 

 

 

 

そういうわけで、重要部分の削除については、D中学校新教職員(と旧校長および旧次長)にそのカギを渡した状態である、ということなのです。

 

大変重たいカギです。

 

そのカギを使って、新しい扉を開くのか、それとも、うわべだけ修正したように見せかけて、同じ事を繰り返すのか。

 

そのどちらを選択するのかは、彼らの自由意志にゆだねられています。

 

 

 

 

 

 

 

学校というのは閉鎖的なところです。

 

彼らが、今述べたような生き方の一歩を歩みだすことが出来るのかどうか、それは、私たちみんなが見守っていかなければなりません。

 

市教委には、C2と旧次長との癒着が切れた今、断固とした姿勢で『指導』をしていって欲しい。

 

地域、保護者の方々には、D中が新しい一歩を踏み出すことが出来るかどうかを見守って欲しい。

 

新2,3年生の生徒の皆さんにも、そこの部分を見守っていて欲しい。

 

 

 

 

D中が、その修正に心を尽くすことなく、例年のように2008年度をはじめるなら、これまでと同じように、犠牲者が出るでしょう。

 

D中が、自分達の過去の非を真摯に認め、謝罪し、修正を誓うなら、新しい未来が拓けていくでしょう。

 

 

 

 

 

新しい出発の日は、いよいよ明日。

 

 

 

(実際には、もう新教職員で職員会がもたれていますから、すでにスタートはされたわけです。この時点で、もしも、タイタニックのような航海を始めているとすれば、乗組員の皆さんは、一刻も早く声を上げてください。)

 

 

 

 

                  

 

 

 

 

削除された「重要部分は、必要があると判断された場合には、復活します。

 

 

 

今も時間が止まったままになっているA教諭やBさんの、時間がふたたび動き出すこと。そのための「スペシャル・ケア」が必要です。

 

D中学校は、あの一連の事件を「終わってしまったこと」としてはいけません。

 

ウソで塗り固めてしまった一連の行為を、自分達でウソを引き剥がし、白日の下にさらして、天に問わなければなりません。「自分達のやってきた《凶行》は、これで隠すことなく、すべて明るみに出せたでしょうか?」と。

 

そうして、天が「それでよい」と答えてくださった時に、初めて、A教諭にも、Bさんにも、そしてこれまで傷つけられてきた多くの人たちにも、癒しが訪れるのです。これが、「スペシャル・ケア」です。

 

 

 

 

この「スペシャル・ケア」がきちんとできることが、D中の本当の新しい出発を意味します。

 

D中学校が、それを自分達でできないのなら、誰かが変わってやらなければなりません。でなければ、《凶行》は繰り返されるからです。

 

 

 

 

 

一人ひとり皆がその尊厳を大切にされて、安心して語り、笑い会える学校、そして地域が、実現されることを願ってやみません。

 

 

                             08年4月7日加筆